・・・風が小凪ぐと滅入るような静かさが囲炉裡まで逼って来た。 仁右衛門は朝から酒を欲したけれども一滴もありようはなかった。寝起きから妙に思い入っているようだった彼れは、何かのきっかけに勢よく立ち上って、斧を取上げた。そして馬の前に立った。馬は・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・どこに居た処で何の楽もねえ老夫でせえ、つまらねえこったと思って、気が滅入るに、お前様は、えらい女だ。面壁イ九年とやら、悟ったものだと我あ折っていたんだがさ、薬袋もないことが湧いて来て、お前様ついぞ見たこともねえ泣かっしゃるね。御心中のウ察し・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ 元来内気なこの娘は、人々がまわりにたくさん集まって、みんなが目を自分の上に向けていると思うと恥ずかしくて、しぜん唄の声も滅入るように低くはなりましたけれど、そのとき、弟の吹く笛の音に耳を傾けると、もう、自分は、広い、広い、花の咲き乱れ・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・その夜は、浜田達にとって、一と晩じゅう、眠ることの出来ない、奇妙な、焦立たしい、滅入るような不思議な夜だった。 あくる日も、中山服は、やはり、その家の中にいた。こちらが顔を出すと、向うも、やはり窓から顔を出す。そして、昨日のように間が抜・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・婆様は寝ながら滅入るような口調でそう語られ、そうそう、婆様は私を抱いてお寝になられるときには、きまって私の両足を婆様のお脚のあいだに挟んで、温めて下さったものでございます。或る寒い晩なぞ、婆様は私の寝巻をみんなお剥ぎとりになっておしまいにな・・・ 太宰治 「葉」
・・・ さっき行った人足も、やはりここでこうやって休んだとみえて、枯れかけた草を押し伏せて白土の跡が真白く残っている。 滲み出した汗を拭きながら、彼はあたりを見まわした。 すべてが寂しい。 滅入るように静かな天地には、もうそろそろ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫