・・・ 三 陣中の芝居 明治三十八年五月四日の午後、阿吉牛堡に駐っていた、第×軍司令部では、午前に招魂祭を行った後、余興の演芸会を催す事になった。会場は支那の村落に多い、野天の戯台を応用した、急拵の舞台の前に、天幕を張り渡・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・当日私は妻と二人で、有楽座の慈善演芸会へ参りました。打明けた御話をすれば、その会の切符は、それを売りつけられた私の友人夫婦が何かの都合で行かれなくなったために、私たちの方へ親切にもまわしてくれたのです。演芸会そのものの事は、別にくだくだしく・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ 前刻から――辻町は、演芸、映画、そんなものの楽屋に縁がある――ほんの少々だけれども、これは筋にして稼げると、潜に悪心の萌したのが、この時、色も、慾も何にもない、しみじみと、いとしくて涙ぐんだ。「へい。お待遠でござりました。」 ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 一階の第一スタジオの前のホールで放送の済むのを待っていると、階段を降りて来た演芸係長の佐川が、赤井を見つけて、「おやッ、珍らしい。赤団治さんじゃありませんか」 と、寄って来た。色の白い、上品な佐川の顔や、どこか済まし込んだその・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・――野球の放送も、演芸も、浪花節も、オーケストラも。俺はすっかり喜んでしまった。これなら特等室だ、蒸しッ返えしの二十九日も退屈なく過ごせると思った。然し皆はそのために「特等室」と云っているのではなかった。始め、俺にはワケが分らなかった。・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・映画素材から映画を作り上げる編集方法としてのモンタージュはそもそも映画始まって以来行なわれて来たものに相違ないのであるが、しかし初期の映画において、単に海岸に打ち寄せる波の遊びを見せたり、あるいは舞台演芸をそっくりそのまま写してみたりしたよ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・このことは映画俳優の演芸が舞台俳優のそれと全くちがった基礎の上に立つべきものだということをわれわれに教えるものではないかと思われる。ロシア映画で教養も何もない農夫が最も光ったスターとして現われ、アメリカ映画でも土人のほうが白人の映画俳優の下・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・いつか新聞の演芸風聞録に、ある「頭の悪い」というので通っている名優の頭の悪い証拠として次のようなことを書いてあった。ある酷暑の日にその役者が「今日はだいぶ暑いと見える、観客席で扇の動き方が劇しいようだ」と云ったというのである。これはしかしそ・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・舞台顔は数回、但しいつもだいぶ遠方の二等席からではあるが、見たことがあり、演芸の雑誌などでしばしば写真を見たことがある。しかし、それにしても乗っているのが青バスであるのに、服装がどうも自分の想像している名代女優というものの服装とはぴったり符・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・ 続きものの小説が肝心のところで中絶したために不平であった人もあろうし、毎朝の仕事のようにしてよんでいた演芸風聞録が読めないのでなんだか顔でも洗いそこなったような気持ちのする閑人もあったろう。 こういう善良な罪のない不満に対しては同・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
出典:青空文庫