・・・場所がらだけに、少なくも新聞の青鉛筆子や漫画子の材料にはなっていたかもしれない。 池のみぎわでおたまじゃくしの行列を見る事もある。あの行列の道筋に何か方則があるだろうか、水流と何か関係があるだろうか。そんな事をだれかと議論した事があった・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・ これに似たことは映画の発声漫画においてしばしば発見されるかと思う。たとえば黒い線だけで描いた漫画の犬が妙な声をだして何か歌うとする、これが本物の犬の映像だとはなはだ困るであろうが、映画の犬だとそれがきわめて自然なことであり、その歌はほ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・や、わが国特産の千代紙人形映画や、またミッキーマウスやうさぎのオスワルドやあるいはビンボーなどというおとぎ話的ヒーローを主題とした線画の発声漫画のごときものがある。まずい名称であるがかりにこれらを人工映画という名前で一括することにする。・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 七 漫画の犬 このごろ見た漫画映画の内でおもしろかったのはミッキーマウスのシリーズで「ワン公大あばれ」と称するものである。その中で覚えず笑い出してしまった最も愉快な場面は、犬が蠅取り紙に悩まされる動作の写真的描写で・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・おりおり余興に見せられる発声漫画などはこの意味ではたしかに一つの芸術である。品は悪いが一つの新しい世界を創造している。これに反して環夫人の独唱のごときは、ただきわめて不愉快なる現実の暴露に過ぎない。 絵画が写実から印象へ、印象から表現へ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・これをそっくり写真に取れば、立派な、高級な漫画になるであろう。しかし安全も危険も実は相対的の言葉である。安全地帯の危険率も、危険地帯の安全率もゼロではない。 二 ある会社のある工場に新たに就職した若い男が、就・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・手に持っている品物をないないと言って騒ぐのは、漫画のヒーロー「あわてものの熊さん」ばかりではない。 留守にたずねて来た訪問客がだれだかよくわからない場合に、取り次いだ女中に「鬚があったか、なかったか」と聞いてみると、大概の場合に、はっき・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・あるいはその点に行くとかえって日本画の似顔とかあるいは漫画のカリカチュアのほうが見込みがありそうに思われた。それほどではなくてもまつ毛一本も見残さずかいた、金属製の顔にエナメルを塗ったような堅い堅い肖像よりは、後期印象派以後の妙な顔のほうが・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ジグスとマギーの漫画のようなものもそうであり、お伽噺や忠臣蔵や水戸黄門の講談のようなものもその類である。云わば米の飯や煙草のようなものになってしまうのかもしれない。そうなってしまえば、もうジャーナリズム的批評の圏外に出てしまって土に根を下ろ・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・が、至る所の絵草紙店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャン坊主の支那兵たちは、木綿の綿入の満洲服に、支那風の木靴を履き、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、辮髪の豚尾を背中に長くたらしていた。その辮髪は、支那人の背中の影で、いつも嘆息深く、・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
出典:青空文庫