・・・「仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ」かくして過ぎなば「結局この国他国に破られて亡国となるべき也」これが日蓮の憂国であった。それ故に国家を安んぜんと欲せば正法を樹立しなければならぬ。これが彼の『立正安国論』の依拠である。 国内に天変地・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・等の翻訳、其から色色の作を見まして漸く文壇の為に働かるる事の多くなって来たのを感じて居りました中、突として逝去の報に接したのは何だか夢のように思えてなりません。近来の事は私が申さいでもいいから態と申しません。ただ同君の前期の仕事に抑々亦少か・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・ 伊能忠敬は五十歳から当時三十余歳の高橋左(衛門の門に入って測量の学を修め、七十歳を超えて、日本全国の測量地図を完成した、趙州和尚は、六十歳から參禅修業を始め、二十年を経て漸く大悟徹底し、爾後四十年間、衆生を化度した、釈尊も八十歳までの・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・「漸く来た。」 とおげんは独りでそれを言って見た。そこは地方によくあるような医院の一室で、遠い村々から来る患者を容れるための部屋になっていた。蜂谷という評判の好い田舎医者がそこを経営していた。おげんが娘や甥を連れてそこへ来たのは自分・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・それから、ずっと後でなにか道を歩いていた時、ははあと漸く多少思ったこともある。けれども、それは僕が次第にほんとの姿を現わし始めたことに過ぎないのだ。あの夜は、この温情家たる僕に、ひとつの明確な酷点を教示した。君のゆるせなかったもの、それは僕・・・ 太宰治 「虚構の春」
一 雑嚢を肩からかけた勇吉は、日の暮れる時分漸く自分の村近く帰って来た。村と言っても、其処に一軒此処に一軒という風にぽつぽつ家があるばかりで、内地のようにかたまって聚落を成してはいなかった。それに、家屋も掘・・・ 田山花袋 「トコヨゴヨミ」
・・・十分やって行けるようにするからと云うんで、世帯道具や何や彼や大将の方から悉皆持ち込んで、漸くまあ婚礼がすんだ。秋山さんは間もなく中尉になる、大尉になる。出来もしたろうが、大将のお引立もあったんでさ。 そこへ戦争がおっ始まった。×××の方・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・その中の一ツは出入りの安吉という植木屋が毎年々々手入の松の枯葉、杉の折枝、桜の落葉、あらゆる庭の塵埃を投げ込み、私が生れぬ前から五六年もかかって漸くに埋め得たと云う事で。丁度四歳の初冬の或る夕方、私は松や蘇鉄や芭蕉なぞに其の年の霜よけを為し・・・ 永井荷風 「狐」
・・・自分にも聞かれる程波打った動悸が五分十分と経つうちにだんだん低くなって彼は漸く忌々しさを意識した。そうして彼は西瓜は赤が居ないから盗まれたと考えた。赤が生きて居たら屹度吠えたに相違ないと思った。そうして彼は赤を殺して畢ったことが心外で胸が一・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・――ランスロットは漸くに心を定める。 部屋のあなたに輝くは物の具である。鎧の胴に立て懸けたるわが盾を軽々と片手に提げて、女の前に置きたるランスロットはいう。「嬉しき人の真心を兜にまくは騎士の誉れ。ありがたし」とかの袖を女より受取る。・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫