・・・あのどちらかと言えば、泥濁りのした大川のなま暖かい水に、限りないゆかしさを感じるのか。自分ながらも、少しく、その説明に苦しまずにはいられない。ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・と同時に木々の空が、まるで火事でも映すように、だんだん赤濁りを帯び始めた。「戦争だ。戦争だ。」――彼女はそう思いながら、一生懸命に走ろうとした。が、いくら気負って見ても、何故か一向走れなかった。………… お蓮は顔を洗ってしまうと、手水を・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・が、この平地が次第に緩い斜面をつくって、高粱と高粱との間を流れている、幅の狭い濁り川が、行方に明く開けた時、運命は二三本の川楊の木になって、もう落ちかかった葉を低い梢に集めながら、厳しく川のふちに立っていた。そうして、何小二の馬がその間を通・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・僕は母や伯母などが濁り水の中に二尺指しを立てて、一分殖えたの二分殖えたのと騒いでいたのを覚えている。それから夜は目を覚ますと、絶えずどこかの半鐘が鳴りつづけていたのを覚えている。 三一 答案 確か小学校の二、三年生の・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・またいびつ形に円くなって、ぼやりと黄色い、薄濁りの影がさした。大きな船は舳から胴の間へかけて、半分ばかり、黄色くなった。婦人がな、裾を拡げて、膝を立てて、飛乗った形だっけ。一ぱし大きさも大きいで、艪が上って、向うへ重くなりそうだに、はや他愛・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・廁は井戸に列してそのあわい遠からず、しかも太く濁りたれば、漉して飲用に供しおれり。建てて数十年を経たる古家なれば、掃除は手綺麗に行届きおれども、そこら煤ぼりて余りあかるからず、すべて少しく陰気にして、加賀金沢の市中にてもこのわたりは浅野川の・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ という声濁りて、痘痕の充てる頬骨高き老顔の酒気を帯びたるに、一眼の盲いたるがいとものすごきものとなりて、拉ぐばかり力を籠めて、お香の肩を掴み動かし、「いまだに忘れない。どうしてもその残念さが消え失せない。そのためにおれはもうすべて・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・省作は庭場の上がり口へ回ってみると煤けて赤くなった障子へ火影が映って油紙を透かしたように赤濁りに明るい。障子の外から省作が、「今晩は、お湯をもらいに出ました」「まア省作さんですかい。ちとお上がんさい。今大話があるとこです」 とい・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・連日の雨で薄濁りの水は地平線に平行している。ただ静かに滑らかで、人ひとり殺した恐ろしい水とも見えない。幼い彼は命取らるる水とも知らず、地平と等しい水ゆえ深いとも知らずに、はいる瞬間までも笑ましき顔、愛くるしい眼に、疑いも恐れもなかったろう。・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・眼の光濁り瞳動くこと遅くいずこともなくみつむるまなざし鈍し。纒いしは袷一枚、裾は短かく襤褸下がり濡れしままわずかに脛を隠せり。腋よりは蟋蟀の足めきたる肱現われつ、わなわなと戦慄いつつゆけり。この時またかなたより来かかりしは源叔父なり。二人は・・・ 国木田独歩 「源おじ」
出典:青空文庫