・・・また舞子に来ても、所謂、瀬戸内海の晴れた海を見ることが出来ないのをよく/\運のないことゝ思った。目の下を男と女と二人並で散歩している。二人は海を見て立止った。潮風が二人の袂と裾を飜している。流石に、避暑地に来たらしい感もした。 夕飯の時・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
私は気の早い男であるから、昭和二十年元旦の夢をはや先日見た。田舎道を乗合馬車が行くのを一台の自動車が追い駈けて行く、と前方の瀬戸内海に太陽が昇りはじめる、馬車の乗客が「おい、見ろ、昭和二十年の太陽だ」という――ただそれだけ・・・ 織田作之助 「電報」
私の郷里、小豆島にも、昔、瀬戸内海の海賊がいたらしい。山の上から、恰好な船がとおりかゝるのを見きわめて、小さい舟がする/\と島かげから辷り出て襲いかゝったものだろう。その海賊は、又、島の住民をも襲ったと云い伝えられている。・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・などにさながらにかかれているところであるが、瀬戸内海のうちの同じ島でも、私の村はそのうちの更に内海と称せられる湖水のような湾のなかにあるので、そこから丘を一つ越えてここへ来るとやや広々とした海と、その向うの讃岐阿波の連山へ見晴しがきいて、又・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・そうしてとうとう、瀬戸内海のある小さい島の旅館で、私はその医学生に捨てられました。それから一箇月近く私はその旅館の、帳場の小箪笥の引出しにいれられていましたが、何だかその医学生は、私を捨てて旅館を出てから間もなく瀬戸内海に身を投じて死んだと・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・あなたが、瀬戸内海の故郷から、親にも無断で東京へ飛び出して来て、御両親は勿論、親戚の人ことごとくが、あなたに愛想づかしをしている事、お酒を飲む事、展覧会に、いちども出品していない事、左翼らしいという事、美術学校を卒業しているかどうか怪しいと・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・関西の豊麗、瀬戸内海の明媚は、人から聞いて一応はあこがれてもみるのだが、なぜだか直ぐに行く気はしない。相模、駿河までは行ったが、それから先は、私は未だ一度も行って見たことが無い。もっと、としとってから行ってみたいと思っている。心に遊びの余裕・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・この友人もまた、瀬戸内海の故郷の島から追放されているのである。「故郷なんてものは、泣きぼくろみたいなものさ。気にかけていたら、きりが無い。手術したって痕が残る。」この友人の右の眼の下には、あずき粒くらいの大きな泣きぼくろが在るのだ。・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・ 夏期瀬戸内海地方で特に夕なぎが著しいのはどういうわけかと思って調べてみると、瀬戸内海では、元来どこでもいったいに強くない夏の季節風が、地勢の影響のために特に弱められている。そのために海陸風が最も純粋に発達する。従って風の変わり目の無風・・・ 寺田寅彦 「海陸風と夕なぎ」
・・・ 島へ渡ったのは、たぶん大阪高知間飛行の話の時に思い浮かべた瀬戸内海の島が素因をなしているかと思われる。 前日の昼食時にA君が、自分の昔の同窓の一人で現に生存しているある人の事についてほんのちょっとばかり話をした。その瞬間に自分の頭・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
出典:青空文庫