・・・倭国の禍になるものは芽生えのうちに除こうと思ったのである。しかし行長は嘲笑いながら、清正の手を押しとどめた。「この小倅に何が出来るもんか? 無益の殺生をするものではない。」 二人の僧はもう一度青田の間を歩き出した。が、虎髯の生えた鬼・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・田代君は存外真面目な表情を浮べながら、ちょいとその麻利耶観音を卓子の上から取り上げたが、すぐにまた元の位置に戻して、「ええ、これは禍を転じて福とする代りに、福を転じて禍とする、縁起の悪い聖母だと云う事ですよ。」「まさか。」「とこ・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・「もし岩殿に霊があれば、俊寛一人を残したまま、二人の都返りを取り持つくらいは、何とも思わぬ禍津神じゃ。お前はさっきおれが教えた、少将の女房を覚えているか? あの女もやはり岩殿へ、少将がこの島を去らぬように、毎日毎夜詣でたものじゃ。所がそ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。 同時に私たちは自分の悲しみにばかり浸っていてはならない。お前たちの母上は亡くなるまで、金銭の累いからは自由だった。飲みたい薬は何んでも飲む事が出来た。食いたい食物は何んでも食う事が出・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・――諸君のまじめな研究は外国語の知識に乏しい私の羨やみかつ敬服するところではあるが、諸君はその研究から利益とともにある禍いを受けているようなことはないか。かりにもし、ドイツ人は飲料水の代りに麦酒を飲むそうだから我々もそうしようというようなこ・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・どうぞ、お試し下さい、口は禍の門、諸病は口からと申すではありませんか、歯は大事にして下さい、口は綺麗にして下さいまし、ねえ、私が願います、どうぞ諸君。」「この砥石が一挺ありましたらあ、今までのよに、盥じゃあ、湯水じゃあとウ、騒ぐにはア及・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 一朝禍を蹈むの場合にあたって、係累の多い者ほど、惨害はその惨の甚しいものがあるからであろう。 天災地変の禍害というも、これが単に財産居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決して済むものであるならば、その悲惨は必ずしも惨の極な・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・世間にうわさでも立てられた日には二人がこうむる禍いも同じだ。ああつまらないばかばかしい。そうだおとよさんによく言い聞かして、つまらぬ考えはやめさせよう、それに限る。それでもおとよさんがおれの言うことを聞くかしら、一体おとよさんはどういう了簡・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ この日の薄暮ごろに奈々子の身には不測の禍があった。そうして父は奈々子がこの世を去る数時間以前奈々子に別れてしまった。しかも奈々子も父も家におって……。いつもならば、家におればわずかの間見えなくとも、必ず子どもはどうしたと尋ねるのが常で・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・アレだけの筆力も造詣もありながら割合に大作に乏しいのは畢竟芸術慾が風流心に禍いされたのであろう。椿岳を大ならしめたのも風流心であるが、小ならしめたのもまた風流心であった。 椿岳を応挙とか探幽とかいう巨匠と比較して芸術史上の位置を定めるは・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫