・・・築地より電車に乗り茅場町へ来かかる折から赫々たる炎天俄にかきくもるよと見る間もなく夕立襲い来りぬ。人形町を過ぎやがて両国に来れば大川の面は望湖楼下にあらねど水天の如し。いつもの日和下駄覆きしかど傘持たねば歩みて柳橋渡行かんすべもなきまま電車・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・ 去年この紀行が『二六新報』に出た時は炎天の候であって、余は病牀にあって病気と暑さとの夾み撃ちに遇うてただ煩悶を極めて居る時であったが、毎日この紀行を読む事は楽しみの一つであった。あるいは山を踰え谿に沿いあるいは吹き通しの涼しき酒亭に御・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・もう炎天と飢渇の為に人にも鳥にも、親兄弟の見さかいなく、この世からなる餓鬼道じゃ。その時疾翔大力は、まだ力ない雀でござらしゃったなれど、つくづくこれをご覧じて、世の浅間しさはかなさに、泪をながしていらしゃれた。中にもその家の親子二人、子はま・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ たとえば四国の方のある女学校では、夏の炎天でも日傘をさすことをやめさせたという記事をこの間読んだ。 四国というと、私たちには暑い地方という感じがある。田舎の女学校の生徒であってみれば歩く時間もかなりあると思える。日にやけた顔色はよ・・・ 宮本百合子 「女の行進」
・・・ 婦人労働者の派手な桃色のスカートが、炎天のキャンプの入口にヒラヒラしている。彼女は日やけした小手をかざして、眩しい耕地の果、麦輸送の「エレバートル」の高塔が白く燦いている方を眺めた。キャンプの車輪の間の日かげへ寝ころがって、休み番の若・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・二十日以後から体の工合が悪く、熱を出して床について居た。炎天を、神経質になって家探しや買物に歩き廻ったため、疲労で弱ってしまったのである。 引越しの日は、晴れて暑い残暑の太陽が、広い駒込の通りを、かっと照して居た。 午前中本箱や夜具・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・二、緑の騎士では p.320 以下ナンシーから八里へだたっているN町の機械工弾圧の光景描写 職工町がすべてとざされて、町の水のみ場の水は猫の死屍でよごされて、八月の炎天の下にくるしむ兵卒 ゾラより Vivid だ。〔欄外に・・・ 宮本百合子 「「緑の騎士」ノート」
・・・ 本年の夏は、例年東京の炎天をしのぎ易くする夕立がまるきりなかった。屋根も土も木も乾きあがって息づまるような熱気の中を、日夜軍歌の太鼓がなり響き、千人針の汗と涙とが流れ、苦しい夏であった。長谷川時雨さんの出しておられるリーフレットで、『・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
・・・そしてその経過を見に、度々瓶有村の農家へ、炎天を侵して出掛けた。途中でひどい夕立に逢って困った事もある。 病人は恐ろしい大量の Chloral を飲んで平気でいて、とうとう全快してしまった。 生理的腫瘍。秋の末で、南向きの広間の前の・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ 馬車は炎天の下を走り通した。そうして並木をぬけ、長く続いた小豆畑の横を通り、亜麻畑と桑畑の間を揺れつつ森の中へ割り込むと、緑色の森は、漸く溜った馬の額の汗に映って逆さまに揺らめいた。 十 馬車の中では、田舎・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫