・・・ その男は、中隊長のすごい眼には無頓着に通訳にきいた。 再び中隊長は、じいっとその男を睨みつけた。中尉が、中隊長の耳もとへ口を持って行って何か囁いた。 兵士達には攻撃の命令が発しられた。 骨組のしっかりした男の表情には、憎悪・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・博士は、もともと無頓着なお方でございましたけれども、このおびただしい汗には困惑しちゃいまして、ついに一軒のビヤホールに逃げ込むことに致しました。ビヤホールにはいって、扇風器のなまぬるい風に吹かれていたら、それでも少し、汗が収りました。ビヤホ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・技師は、服装に無頓着な男で、いつも青い菜葉服を着ていて、しかもよい市民であったようである。母親は白い頭髪を短く角刈にして、気品があった。妹は二十歳前後の小柄な痩せた女で、矢絣模様の銘仙を好んで着ていた。あんな家庭を、つつましやかと呼ぶのであ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・家内は、いつでも私にはらはらさせるくらい、お金に無頓着である。芸術家の家内というものは、そうしなければいけないと愚直に思いこんで努めているふしが在る。「それよりも、お怪我が無くて、なによりでした。ほんとうに、」と言いかけて、肩を落して溜息を・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・そこへ竜騎兵中尉が這入って来て、平生の無頓着な、傲慢な調子でこう云った。「諸君のうちで誰か世界を一周して来る気はありませんか。」 ただこれだけで、跡はなんにも言わない。青天の霹靂である。一同暫くは茫然としていた。笑談だろうか。この貴・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・細君からして随分こんな事には無頓着な人だと見える。どうせあんな異人さんのおかみさんになるくらいの人だからと下宿の主婦は説明していたそうな。しかし細君はごく大人しい好人物だというので近所の気受けはあまり悪い方ではなかったらしい。 主人のジ・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・服装なども無頓着であったらしく、よれよれの和服の着流しで町を歩いている恰好などちょっと高等学校の先生らしく見えなかったという記憶がある。それはとにかく、その当時夏目先生と何かと世間話していたとき、このS先生の噂をしたら先生は「アー、Sかー」・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
芸術家にして科学を理解し愛好する人も無いではない。また科学者で芸術を鑑賞し享楽する者もずいぶんある。しかし芸術家の中には科学に対して無頓着であるか、あるいは場合によっては一種の反感をいだくものさえあるように見える。また多く・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・これは知識ある階級の人すら家具及び家内装飾等の日常芸術に対して、一向に無頓着である事を痛罵したものである。わが日本の社会においてもまた同様。書画骨董と称する古美術品の優秀清雅と、それを愛好するとか称する現代紳士富豪の思想及生活とを比較すれば・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・然し対手は太十の心には無頓着である。「おっつあん殺すのか」 斯ういう不謹慎ないいようは余計に太十を惑わした。「そうよな」 と太十は首をかしげた。「どうせ駄目だから殺しっちまあべ」 威勢よくいった。そうかと思うと暫らく・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫