・・・が、焼石に水だった。手術も今日、明日に迫り、金の要ることは目に見えていた。蝶子の唄もこんどばかりは昔の面影を失うた。赤電車での帰り、帯の間に手を差し込んで、思案を重ねた。おきんに借りた百円もそのままだった。 重い足で、梅田新道の柳吉の家・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・「この辺は、まるで焼石と砂ばかりのようなものでごわす。上州辺と違って碌な野菜も出来やせん」 と音吉が言った。 彼は持って来た馬鈴薯の種を植えて見せ、猶、葱苗の植え方まで教えた。 この高瀬が僅かばかりの野菜を植え試みようとした・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・この刺激の強い都を去って、突然と太古の京へ飛び下りた余は、あたかも三伏の日に照りつけられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだようなものだ。余はしゅっと云う音と共に、倏忽とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配し・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・右にも左にも丘陵の迫った真中が一面焼石、焼砂だ。一条細い道が跫跡にかためられて、その間を、彼方の山麓まで絶え絶えについている。ざらざらした白っぽい巌の破片に混って硫黄が道傍で凝固していた。烈しい力で地層を掻きむしられたように、平らな部分、土・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
出典:青空文庫