・・・それを人の気も知らないで……戸部 貴様はこいつの顔が見たいばかりで……とも子 焼餅やき。戸部 馬鹿。沢本 ああ俺はもうだめだ。死ぬくらいなら俺は画をかきながら死ぬ。画筆を握ったままぶっ倒れるんだ。おい、ともちゃん、悪態・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・「アハハハ、それはお増どんが焼餅をやくのでさ。つまらんことにもすぐ焼餅を焼くのは、女の癖さ。僕がそら『アックリ』を採っていってお増にやると云えば、民さんがすぐに、まアあなたは親切な人とか何とか云うのと同じ訣さ」「この人はいつのまにこ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ さらに気をまわせば、吉弥は僕のことについていい加減のうそを並べ、うすのろだとか二本棒だとか、焼き餅やきだとかいう嬉しがらせを言って、青木の機嫌を取っているのではないかとも思われた。どうせ吉弥が僕との関係を正直にうち明かすはずはないが、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・それに、えらい焼餅やきですの。私も嫉妬しますけど、あの人のは、もっとえげつないんです」 顔の筋肉一つ動かさずに言った。 妙な夫婦もあるものだ。こんな夫婦の子供はどんな風に育てられているのだろうと、思ったので、「お子さんおありなん・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・残っていた五円で焼餅を一つ買い、それで今日一日の腹を持たすことにした。駅の近所でブラブラして時間をつぶし、やっと夜になると駅の地下道の隅へ雑巾のように転ったが、寒い。地下道にある阪神マーケットの飾窓のなかで飾人形のように眠っている男は温かそ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・それで、柳吉がしばしばカフェへ行くと知っても、なるべく焼餅を焼かぬように心掛けた。黙って金を渡すときの気持は、人が思っているほどには平気ではなかった。 実家に帰っているという柳吉の妻が、肺で死んだという噂を聴くと、蝶子はこっそり法善寺の・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・わたしは焼餅なんぞは焼かなかったわ。それがまた不思議ね。それから生れた女の子の名付親に、お前さんをしたのね。その時わたしがあの人に無理に頼んで、お前さんにキスをさせたのね。あの人はこうなれば為方がないという風でキスをする。その時のお前さんの・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・その中で焼餅話をするとなると、いよいよ不愉快である。ドリスも毎日霧の中を往復するので咳をし出した。舞台を休んで内にいる晩は、時間の過しように困る。女の話すことだけ聞くのに甘んじないで、根問いをすると、女はそんな目に逢ったことがないので厭がる・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・敢て婬乱を恣にして配偶者を虐待侮辱するも世間に之を咎むる者なく、却て其虐待侮辱の下に伏従する者を見て賢婦貞女と称し、滔々たる流風、上下を靡かして、嫉妬は婦人の敗徳なりと教うれば、下流社会も之を聞習い、焼餅は女の恥など唱えて、敢て自から結婚契・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・そこでわたくしは段々身だしなみをしなくなる。焼餅も焼かなくなる。恋が褪め掛かる。とうとう恋も何も無くなったと云うわけですね。あの時手紙なんぞをお落しなさらなかったら、わたくしはきょうだってまだあなたに惚れているだろうと思うのです。(勝ち誇り・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
出典:青空文庫