・・・それで、たとえば煙突の崩壊する光景の映画を半分の速度で映写すると、それは地球の四分の一の質量を有する遊星の上での出来事であるかのように見えるのである。同様なわけで器械の工率のディメンションは時間のマイナス三乗を含むから、映写機のハンドルを二・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ 清洲橋をわたった南側には、浅野セメントの製造場が依然として震災の後もむかしに変らず、かの恐しい建物と煙突とを聳かしているが、これとは反対の方向に歩みを運ぶと、窓のない平い倉庫の立ちつづく間に、一条の小道が曲り込んでいて、洋服に草履をは・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・ 来路を顧ると、大島町から砂町へつづく工場の建物と、人家の屋根とは、堤防と夕靄とに隠され、唯林立する煙突ばかりが、瓦斯タンクと共に、今しも燦爛として燃え立つ夕陽の空高く、怪異なる暮雲を背景にして、見渡す薄暮の全景に悲壮の気味を帯びさせて・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・まるで大製造場の煙突の根本を切ってきてこれに天井を張って窓をつけたように見える。 これが彼が北の田舎から始めて倫敦へ出て来て探しに探し抜いて漸々の事で探し宛てた家である。彼は西を探し南を探しハンプステッドの北まで探してついに恰好の家を探・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・私は今日ここへ参りがけに砲兵工厰の高い煙突から黒煙がむやみにむくむく立ち騰るのを見て一種の感を得ました。考えると煤煙などは俗なものであります。世の中に何が汚ないと云って石炭たきほどきたないものは滅多にない。そうして、あの黒いものはみんな金が・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・火葬にも種類があるが、煉瓦の煙突の立っておる此頃の火葬場という者は棺を入れる所に仕切りがあって其仕切りの中へ一つ宛棺を入れて夜になると皆を一緒に蒸焼きにしてしまうのじゃそうな。そんな処へ棺を入れられるのも厭やだが、殊に蒸し焼きにせられると思・・・ 正岡子規 「死後」
・・・もう家へ帰ろうと思って、そっちへ行って見ますと、おどろいたことには、家にはいつか赤い土管の煙突がついて、戸口には、「イーハトーヴてぐす工場」という看板がかかっているのでした。そして中からたばこをふかしながら、さっきの男が出て来ました。「・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 栗の木なんて、まるで煙突のようなものでした。十間置き位に、小さな電燈がついて、小さな小さなはしご段がまわりの壁にそって、どこまでも上の方に、のぼって行くのでした。「さあさあ、こちらへおいで下さい。」小猿はもうどんどん上へ昇って行き・・・ 宮沢賢治 「さるのこしかけ」
・・・ 店々で呼び合う声と広告旗、絵看板、楽隊の響で、せまい団子坂はさわぎと菊の花でつまった煙突のようだった。白と黒の市松模様の油障子を天井にして、色とりどりの菊の花の着物をきせられた活人形が、芳しくしめっぽい花の香りと、人形のにかわくささを場内・・・ 宮本百合子 「菊人形」
その家は夏だけ開いた。 冬から春へかけて永い間、そこは北の田舎で特別その数ヵ月は歩調遅く過ぎるのだが、家は裏も表も雨戸を閉めきりだ。屋根に突出した煙の出ぬ細い黒い煙突を打って初冬の霰が降る。積った正月の雪が、竹藪の竹を・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
出典:青空文庫