・・・「諸君、二円五十銭じゃ言うたんじゃ、可えか、諸君、熊手屋が。露店の売品の値価にしては、いささか高値じゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、諸君。」 と重なり合った人群集の中に、足許の溝の縁に、馬乗・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・に、六つの年に疱瘡に罹って以来の、医者も顔をそむけたというおのが容貌を、十九歳の今日まで、ついぞ醜いと思ったことは一度もなく、六尺三寸という化物のような大男に育ちながら、上品典雅のみやび男を気取って、熊手にも似たむくつけき手で、怪しげな歌な・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・とごま白の乱髪に骨太の指を熊手形にさしこんで手荒くかいた。 石井翁は綿服ながら小ザッパリした衣装に引きかえて、この老人河田翁は柳原仕込みの荒いスコッチの古洋服を着て、パクパク靴をはいている。「でも何かしておられるだろう。」と石井翁は・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・ 亀井さんの門の前には、火叩きやら、なんだか奇怪な熊手のようなものやら、すっかりととのえて用意されてある。私の家には何も無い。主人が不精だから仕様が無いのだ。「まあ、よく御用意が出来て。」 と私が言うと、御主人は、「ええ、な・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・ 坂を下りて提灯が見えなくなると熊手持って帰る人が頻りに目につくから、どんな奴が熊手なんか買うか試に人相を鑑定してやろうと思うて居ると、向うから馬鹿に大きな熊手をさしあげて威張ってる奴がやって来た。職人であろうか、しかし善く分らぬ。月が・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ 左側の小屋の乾草を小さい男の子が倍も体より大きい熊手で掻き出して居る。 牛はまだ出て居ない。午前中は出さないものと見える。狭い土面をきちきちに建ててある牛舎には一杯牛が居る。私の幼さい時から深い馴染のある、あの何だか暖ったかい刺激・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ お豊さんは尉姥の人形を出して、箒と熊手とを人形の手に挿していたが、その手を停めて桃の花を見た。「おうちの桃はもうそんなに咲きましたか。こちらのはまだ莟がずっと小そうございます」「出かけに急いだもんですから、ほんの少しばかり切らせて・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫