・・・姉たちがすわるにせまいといえば、身を片寄せてゆずる、彼の母は彼を熟視して、奈々ちゃんは顔構えからしっかりしていますねいという。 末子であるから埒もなくかわいいというわけではないのだ。この子はと思うのは彼の母ばかりではなく、父の目にもそう・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・ 私達は、黒人に対する米人の態度を見、また印度の殖民地に於ける英人の政策を熟視して、彼等が真に人類を愛する信念の何れ程迄に真実であるかを疑わなければならないが、そして、このたびの軍備縮小などというが如き、其の実、戦争を予期しての企てに対・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・心さえ急かねば謀られる訳はないが、他人にして遣られぬ前にというのと、なまじ前に熟視していて、テッキリ同じ物だと思った心の虚というものとの二ツから、金八ほどの者も右左を調べることを忘れて、一盃食わせられたのである。親父はさすがに老功で、後家の・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・と自分は男の顔を熟視り乍ら言った。「これから将来、君がどんな出世をするかも知れない。僕がまた今日の君のように困らないとも限らない。まあ、君、左様じゃないか。もし君が壮大な邸宅でも構えるという時代に、僕が困って行くようなことがあったら、其時は・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・ 私はその差し伸べられた手の甲を熟視したが、それらしい傷跡はどこにも無かった。「お前の左の向う脛にも、たしかに傷がある筈だ。あるだろう? たしかにある筈だよ。それは俺がお前に石をぶっつけた時の傷だ。いや、よくお前とは喧嘩をしたものだ・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・その時にはわれわれはもう少し謙遜な心持ちで自然と人間を熟視し、そうして本気でまじめに落ち着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。そうなれば現在のいろいろなイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムのあらしは収まってほんとうに科・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・その時には吾々はもう少し謙遜な心持で自然と人間を熟視し、そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。そうなれば現在の色々なイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムの嵐は収まって本当に科学的なユートピアの真・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・先生は黙って児童とともにその事実を熟視すればそれで充分ではないかと思うのである。 われわれの子供の時分にはおとぎ話はおとぎ話としてなんらの注釈なしに教わった。そうして実に同じ話を何十回何百回も繰り返して教わったものである。そうしてそれら・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・ゆがんだ鏡に映った自分の顔をはじめは妙な顔だがなんだか見たような顔だと思って熟視しているとだんだんにそれが自分の映像だとわかってくるようなものである。このようにゆがめられた事実の横顔の描写が単に科学記事だけに限られているのならば幸いであるが・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・その作品がどれほど自分の嗜好からは厭なと思うものでも、またあまりに生硬と思うものでも、それにかかわらず一種の愉快な心持をもって熟視する事が出来た。毎年の文展や院展を見に行ってもこういう自分のいわゆる外道的鑑賞眼を喜ばすものは極めて稀であった・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
出典:青空文庫