・・・暑い日に照られて半分は熱い西瓜でもすぐに割られるのであった。太十の鬱いで居る容子は対手にもわかった。「おっつあんどうかしやしめえ」 対手は聞いた。太十は少時黙って居たが「いっそのこと殺しっちまあべと思ってよ」 ぶっきら棒にい・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 余らは熱い都の中心に誤って点ぜられたとも見える古い家の中で、静かにこんな話をした。それから菊の話と椿の話と鈴蘭の話をした。果物の話もした。その果物のうちでもっとも香りの高い遠い国から来たレモンの露を搾って水に滴らして飲んだ。珈琲も飲ん・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・ 彼女は熱い鉄板の上に転がった蝋燭のように瘠せていた。未だ年にすれば沢山ある筈の黒髪は汚物や血で固められて、捨てられた棕櫚箒のようだった。字義通りに彼女は瘠せ衰えて、棒のように見えた。 幼い時から、あらゆる人生の惨苦と戦って来た一人・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・あの女神達は素足で野の花の香を踏んで行く朝風に目を覚し、野の蜜蜂と明るい熱い空気とに身の周囲を取り巻かれているのだ。自然はあれに使われて、あれが望からまた自然が湧く。疲れてもまた元に返る力の消長の中に暖かい幸福があるのだ。あれあれ、今黄金の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・日本の本州ばかりでいっても、南方の熱い処には蜜柑やザボンがよく出来て、北方の寒い国では林檎や梨がよく出来るという位差はある。まして台湾以南の熱帯地方では椰子とかバナナとかパインアップルとかいうような、まるで種類も味も違った菓物がある。江南の・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・それからも一つは熱いということだ。火ならばなんでも熱いものだ。それはいつでも乾かそう乾かそうとしている。斯う云う工合に火には二つの性質がある。なぜそうなのか。それは火の性質だから仕方ない。そう云う、熱いもの、乾かそうとするもの、光るもの、照・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・の調子は、そのメロディーを失って熱いテムポにかわった。情感へのアッピールの調子から理性への説得にうつった。 この時期の評論が、どのように当時の世界革命文学の理論の段階を反映し、日本の独自な潰走の情熱とたたかっているかということについての・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・ 今日の主人増田博士の周囲には大学時代からの親友が二三人、製造所の職員になっている少壮な理学士なんぞが居残って、燗の熱いのをと命じて、手あきの女中達大勢に取り巻かれて、暫く一夕の名残を惜んでいる。 花房という、今年卒業して製造所に這・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・それだのに涙腺は無理に門を開けさせられて熱い水の堰をかよわせた。 このままでややしばらくの間忍藻は全く無言に支配されていたが、その内に破裂した、次の一声が。「武芸はそのため」 その途端に燈火はふっと消えて跡へは闇が行きわたり、燃・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・安次が死んどる。熱いお粥食わそう思って持っててやったのに、死んどるわア。」と叫びながら、秋三の家の裏口から馳け込んだ。 お霜の叫びに納戸からお留が出て来た。秋三は藁小屋から飛び出て来た。そして二人が安次の小屋へ馳けて行くと、お霜はそのま・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫