・・・まるで、黒雲の中から白い猪が火を噴いて飛蒐る勢で、お藻代さんの、恍惚したその寝顔へ、蓋も飛んで、仰向けに、熱湯が、血ですか、蒼い鬼火でしょうか、玉をやけば紫でしょうか……ばっと煮えた湯気が立ったでしょう。……お藻代さんは、地獄の釜で煮られた・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・常に岩の間から熱湯を沸き上げている。あたりには、白く霧がかゝっている。溪川には、湯が湧き出で、白い湯花が漂って、岩に引っかゝっているところもある。 崖の上に一軒のみすぼらしい茶屋があった。渋温泉に来た客は、此の地獄谷へ来るものはあっても・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・博士は、敬虔な生物学者に共通の博愛心から、「かわいそうにな、ありは、勤勉な虫だが、どういうものか、みんなにきらわれる。熱湯でもかければ、死ぬには死ぬが……」と、答えられたのです。「ありと蜂」の生活についてファーブルに比すべき研究のあった・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・金さんは元から熱湯好きだったね。だけど、酔ってる時だけは気をおつけよ、人事じゃないんだよ」「大きに! まだどうも死ぬにゃ早いからな」「当り前さ、今から死んでたまるものかね。そう言えば、お前さん今年幾歳になったんだっけね?」「九さ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・祭壇の上には、黒牛の皮で作られたおそろしく大きな釜が置かれて、その釜の中には熱湯が、火の気も無いのに、沸々と煮えたぎって吹きこぼれるばかりの勢いでありました。老婆は髪を振り乱しその大釜の周囲を何やら呪文をとなえながら駈けめぐり駈けめぐり、駈・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・しかしいつか赤ん坊をいきなり盥の熱湯に入れて、大火傷をさせた女の話を聞いたことがある。これなどはちょっと想像のつきかねることである。たぶんそのときだけ頭の内が留守になっていたのであろうと思う。 しかし風呂に限らず、われわれの日常生活でわ・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・この変化は必ずしも低温の方向に起らなくてもいいということは、暑中熱湯を浴びる実験からも分ると思う。たぶん温度が急激に降下するときに随伴する感覚であって、しかもそれはすぐに飽和される性質のものであるから、この感覚を継続させるためには結局週期的・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ふたをした茶わんに茶を入れて持って来た。熱湯で湿した顔ふきを持って来た。……少しセンチメンタルになる。 帰りに四馬路という道を歩く。油絵の額を店に並べて、美しく化粧をした童女の並んでいる家がところどころにある。みんな娼楼だという。芸妓が・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・捕って来た虫は熱湯や樟脳で殺して菓子折りの標本箱へきれいに並べた。そうしてこの箱の数の増すのが楽しみであった。虫捕りから帰って来ると、からだは汗を浴びたようになり、顔は火のようであった。どうしてあんなに虫好きであったろうと母・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・それにしてはあまりに貧弱な露店のような台ではあるが、しかし熱海の間歇泉から噴出する熱湯は方尺にも足りない穴から一昼夜わずかに二回しかも毎回数十分出るだけであれだけの温泉宿の湯槽を満たしている事を考えればこれも不思議ではないかもしれない。ここ・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
出典:青空文庫