・・・僕は君に、いつか、「燃焼しない」と言って非難されたことを思い出した。そうして微笑した。僕の前では君の弟が、ステッキの先へハンケチを結びつけて、それを勢いよくふりながら「兄さん万歳」をくり返している。…… 後甲板には、ロシアの役者が大ぜい・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・ 火事は物質の燃焼する現象であるからやはり一種の物理化学的現象である。この現象は日本には特別多い。それだのに日本の科学者で火事の研究をする人の少ないのは不思議である。西洋の大学のどこにもまだ火災学という名前の講義をしている所がないからで・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・たとえばアルコホルの沿面燃焼などはほとんど完全な円形な前面をもって進行するが、こういう場合は自然的変異を打ち消すような好都合の機巧が別に存在参加しているという特別の場合であるとも考えられる。すなわち、前面が凸出する点の速度が減じ、凹入した点・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・やむすこのような自由意志を備えた存在でもなく、主としてセリュローズと称する物質が空気中で燃焼する物理学的化学的現象であって、そうして九九プロセントまでは人間自身の不注意から起こるものであるというのは周知の事実である。しかし、それだから火事は・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯の中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播して行く、伝播の速度が急激に・・・ 寺田寅彦 「流言蜚語」
・・・何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッと燃焼した刹那を捉えて、その熱烈純厚の気象を前後に長く引き延ばして、二六時中すべてあのごとくせよと命ずるのは事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・我が輩かつていえることあり、方今政談の喋々をただちに制止せんとするは、些少の水をもって火に灌ぐが如し、大火消防の法は、水を灌ぐよりも、その燃焼の材料を除くに若かずと。けだし学者のために安身の地をつくりてその政談に走るをとどむるは、また燃料を・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・其にしても、総ての感情、理智の燃焼を透し、到る所に貴女のろうたきいきどおりとでも云うべきものが感じられるのは、非常に私の感興をそそりました。 きっと貴女の持っていらっしゃる詩興、詩趣によるものでしょう。結婚と云うものに対し、愛の発育と云・・・ 宮本百合子 「大橋房子様へ」
・・・芸術家として燃焼する型が外向的であったからだろう。 音楽と女の生活についての考えかたも一般に狭くあったと思う。久野さんに習っていて、のち上野のピアノ科に入り、ずっと首席であった一人の令嬢が、お婿さんをとるためにどうしても音楽をすてて学校・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・「我々の魂の中にもし何か価値あるものがあるとしたら、それは如何に他人よりももっと激しく燃焼したかにあるのだ」とジイドの文句が引かれていても、主人公の男がいい家庭と云い、その建設のために妻を教育し扶けようとするという、その実質について全然・・・ 宮本百合子 「「結婚の生態」」
出典:青空文庫