・・・ 石炭殻などを敷いた路は爪先上りに踏切りへ出る、――そこへ何気なしに来た時だった。保吉は踏切りの両側に人だかりのしているのを発見した。轢死だなとたちまち考えもした。幸い踏切りの柵の側に、荷をつけた自転車を止めているのは知り合いの肉屋の小・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・竹藪は何時か雑木林になった。爪先上りの所所には、赤錆の線路も見えない程、落葉のたまっている場所もあった。その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖の向うに、広広と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・ 行くことおよそ二里ばかり、それから爪先上りのだらだら坂になった、それを一里半、泊を急ぐ旅人の心には、かれこれ三里余も来たらうと思うと、ようやく小川の温泉に着きましてございまする。 志す旅籠屋は、尋ねると直ぐに知れた、有名なもので、・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・車夫は草鞋も足袋も穿かずに素足を柔かそうな土の上に踏みつけて、腰の力で車を爪先上りに引き上げる。すると左右を鎖す一面の芒の根から爽かな虫の音が聞え出した。それが幌を打つ雨の音に打ち勝つように高く自分の耳に響いた時、自分はこの果しもない虫の音・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・ 路は左右に曲折して爪先上りだから、三十分と立たぬうちに、圭さんの影を見失った。樹と樹の間をすかして見ても何にも見えぬ。山を下りる人は一人もない。上るものにも全く出合わない。ただ所々に馬の足跡がある。たまに草鞋の切れが茨にかかっている。・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・一里ばかり離れた郡山の町から一直線の新道がつくられて、そのポクポク道をやって来たものはおのずから村を南北に貫通している大通りへぶつかり、その道を真っ直ぐ突切ると爪先上りの道は同じ幅で松の植込みのある、いくらか昔話の龍宮に似た三層楼の村役場の・・・ 宮本百合子 「村の三代」
出典:青空文庫