・・・を読んだのとは、全く反対な索漠さを感じて、匆々竜華寺の門をあとにした。爾来今日に至っても、二度とあのきのどくな墓に詣でようという気は樗牛に対しても起す勇気がない。 しかし怪しげな、国家主義の連中が、彼らの崇拝する日蓮上人の信仰を天下に宣・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・僕は爾来十余年、未だ天下に彼の如く恐るべき論客あるを知らず。若し他に一人を数うべしとせば、唯児島喜久雄君あるのみ。僕は現在恒藤と会うも、滅多に議論を上下せず。上下すれば負ける事をちゃんと心得ている故なり。されど一高にいた時分は、飯を食うにも・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・が、ソクラテスとプレトオをも教師だったなどと云うのは、――保吉は爾来スタアレット氏に慇懃なる友情を尽すことにした。 午休み ――或空想―― 保吉は二階の食堂を出た。文官教官は午飯の後はたいてい隣の喫煙室・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・それが明治三十三年ごろのことです。爾来諸君はこの農場を貫通する川の沿岸に堀立小屋を営み、あらゆる艱難と戦って、この土地を開拓し、ついに今日のような美しい農作地を見るに至りました。もとより開墾の初期に草分けとしてはいった数人の人は、今は一人も・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・「常説法教化無数億衆生爾来無量劫。」 法の声は、蘆を渡り、柳に音ずれ、蟋蟀の鳴き細る人の枕に近づくのである。 本所ならば七不思議の一ツに数えよう、月夜の題目船、一人船頭。界隈の人々はそもいかんの感を起す。苫家、伏家に灯の影も漏れ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ お千代が心ある計らいによって、おとよは一日つぶさに省作に逢うて、将来の方向につき相談を遂ぐる事になった。それはもちろんお千代の夫も承知の上の事である。 爾来ことにおとよに同情を寄せたお千代は、実は相談などいうことは第二で、あまり農・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ こう思った時にひとしおのさびしさが感じられた。そして、折しも、沈みつゝ、樹間をいろどれる夕日を思い深くながめたのであった。 爾来幾年、雑司ヶ谷の墓地も面目を変えた。文化の風は、こゝにも吹き込んだようである。知己、友人の幾人かは、そ・・・ 小川未明 「ラスキンの言葉」
・・・ 爾来数年、志村は故ありて中学校を退いて村落に帰り、自分は国を去って東京に遊学することとなり、いつしか二人の間には音信もなくなって、忽ちまた四、五年経ってしまった。東京に出てから、自分は画を思いつつも画を自ら書かなくなり、ただ都会の大家・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 爾来、四年、大友の恋の傷は癒え、恋人の姿は彼の心から消え去せて了ったけれども、お正には如何かして今一度、縁あらば会いたいものだと願っていたのである。 そして来て見ると、兼ねて期したる事とは言え、さてお正は既にいないので、大いに失望・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・ ただ一言する、『自分が真にウォーズウォルスを読んだは佐伯におる時で、自分がもっとも深く自然に動かされたのは佐伯においてウォーズウォルスを読んだ時である』ということを。 爾来数年の間自分は孤独、畏懼、苦悩、悲哀のかずかずを尽くした、・・・ 国木田独歩 「小春」
出典:青空文庫