・・・ ト枕を並べ、仰向になり、胸の上に片手を力なく、片手を投出し、足をのばして、口を結んだ顔は、灯の片影になって、一人すやすやと寝て居るのを、……一目見ると、それは自分であったので、天窓から氷を浴びたように筋がしまった。 ひたと冷い汗に・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ さて、亭主の口と盆の上へ、若干かお鳥目をはずんで、小宮山は紺飛白の単衣、白縮緬の兵児帯、麦藁帽子、脚絆、草鞋という扮装、荷物を振分にして肩に掛け、既に片影が出来ておりますから、蝙蝠傘は畳んで提げながら、茶店を発つて、従是小川温泉道と書・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・椿岳の伝統を破った飄逸な画を鑑賞するものは先ずこの旧棲を訪うて、画房や前栽に漾う一種異様な蕭散の気分に浸らなければその画を身読する事は出来ないが、今ではバラックの仮住居で、故人を偲ぶ旧観の片影をだも認められない。 寒月の名は西鶴の発見者・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・彼の、北国の海の上を走るような、黒い陰気な雲の片影すらなかった。曇っても飽迄で明るい瀬戸内海は女性的である。自然は広い、これも自然の有する姿の一であると思えば、生れてから暗い海のみを見ていた私は、自然というものゝ解釈が違ったようだ。 酒・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・ 負傷者の傷には、各々、戦闘の片影が残されていた。森をくゞりぬけて奥へパルチザンを追っかけたことがある。列車を顛覆され、おまけに、パルチザンの襲撃を受けて、あわくって逃げだしたこともある。傷は、武器と戦闘の状況によって異るのだ。鉄砂の破・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・けれども、ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持が畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・もなんらの事件を示さず、ただこの海産動物につながる連想の活動を刺激することによって「憧憬のかすみの中に浮揺する風景や、痛ましく取り止めのつかない、いろいろのエロチックな幻影や、片影しか認められないさまざまの形態の珍しい万華鏡の戯れやが、不合・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・しい子供だましのトリックのように思われたが、大吹雪や火山の噴煙やのいろいろな実写フィルムをさまざまに編集して、ともかくも世界滅亡のカタクリズムを表現しようと試みた努力の中にはさすがにこの作者の老巧さの片影を認めることもできないことはないよう・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・これはおそらく世界共通の現象で、現在でも未開国ではその片影を認めることができるようである。祭祀その他宗教的儀式と連関していろいろの巫術魔術といったようなものも民族の統治者の主権のもとに行なわれてそれが政治の重要な項目の一つになっていたように・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・たとえ半分がうそだとしてもいつもの型に入った人殺しや自殺の記事よりも比較のできないほど有益な知識の片影と貴重な暗示の衝動とを読者に与える。 この蜜蜂の話は人間社会の経済問題にも実にいろいろな痛切な問題を投げるようである。それよりも今さし・・・ 寺田寅彦 「破片」
出典:青空文庫