・・・――そう思うと、今まではただ、さびしいだけだったのが、急に、怖いのも手伝って、何だか片時もこうしては、いられないような気になりました。何さま、悪く放免の手にでもかかろうものなら、どんな目に遭うかも知れませぬ。「そこで、逃げ場をさがす気で・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ と幾度も一人で合点み、「ええ、織さん、いや、どうも、あの江戸絵ですがな、近所合壁、親類中の評判で、平吉が許へ行ったら、大黒柱より江戸絵を見い、という騒ぎで、来るほどに、集るほどに、丁と片時も落着いていた験はがあせん。」 と蔵の・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・何しろ煩っておりますので、片時でもほッという呼吸をつかせてやりたく存じますが、こうでございます、旦那様お見かけ申して拝みまする。」と言も切に声も迫って、両眼に浮べた涙とともに真は面にあふれたのである。 行懸り、言の端、察するに頼母しき紳・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・椿岳は平素琵琶を愛して片時も座右を離さなかったので、椿岳の琵琶といえばかなりな名人のように聞えていた。が、実はホンの手解きしか稽古しなかった。その頃福地桜痴が琵琶では鼻を高くし、桜痴の琵琶には悩まされながらも感服するものが多かった。負けぬ気・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「なんで、おまえのことを片時なりとも忘れるものではない。」と答えました。 娘は、とうとう旅の人につれられて、あちらの郷へお嫁にゆくことになったのであります。 娘がいってから、年をとった父親や、母親は、毎日、東の山を見て娘のことを・・・ 小川未明 「海ぼたる」
・・・そして、自分が、片時も故郷のことを忘れぬように、その少年も、自分の村を忘れないであろうと思うと、その顔を見ない少年が、なんとなく、慕わしくなりました。 良吉は「遠くからきて、働いているのは、けっして、自分ばかりでない。」と、考えると、ま・・・ 小川未明 「隣村の子」
・・・「必ずしも信仰そのものは僕の願ではない、信仰無くしては片時たりとも安ずる能わざるほどにこの宇宙人生の秘義に悩まされんことが僕の願であります」「なるほどこいつは益々解りにくいぞ」と松木は呟やいて岡本の顔を穴のあくほど凝視ている。「・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・昨日の事は忘れ明日の事を思わず、一日一日をみだらなる楽しみ、片時の慰みに暮らす人のさまにも似たりとは青年がこの町を評する言葉にぞある。青年別荘に住みてよりいつしか一年と半ばを過ぎて、その歳も秋の末となりぬ。ある日かれは朝早く起きいでて常のご・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・いろいろの本を読んで聞かせて、片時も、私を手放さなかった。六歳、のころと思う。つるは私を、村の小学校に連れていって、たしか三年級の教室の、うしろにひとつ空いていた机に坐らせ、授業を受けさせた。読方は、できた。なんでもなく、できた。けれども、・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・私たちの王子と、ラプンツェルも、お互い子供の時にちらと顔を見合せただけで、離れ難い愛着を感じ、たちまちわかれて共に片時も忘れられず、苦労の末に、再び成人の姿で相逢う事が出来たのですが、この物語は決してこれだけでは終りませぬ。お知らせしなけれ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫