・・・「夜中でも起きて、私は、牛乳を飲ませたり、泣くときは守りをしなければなりません。」と、娘は、答えました。 美しい、やさしい少女は、感心してしまいました。「わたしが、今夜、あなたに代わって赤ちゃんの守りをしてあげましょうか……。」・・・ 小川未明 「海からきた使い」
・・・朝は大抵牛乳一合にパン四分の一斤位、バターを沢山付けて頂きます。その彼へスープ一合、黄卵三個、肝油球。昼はお粥にさしみ、ほうれん草の様なもの。午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風月堂の栗饅頭だとかの注文をします。夕食は朝が・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・それはほかでもない。牛乳の壜である。私は自分の飲みっ放しを日なたのなかへ置いておく。すると毎日決まったようにそのなかへはいって出られないやつができた。壜の内側を身体に付著した牛乳を引き摺りながらのぼって来るのであるが、力のない彼らはどうして・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・別荘と畑一つ隔たりて牛乳屋あり、樫の木に取り囲まれし二棟は右なるに牛七匹住み、左なるに人五人住みつ、夫婦に小供二人、一人の雇男は配達人なり。別荘へは長男の童が朝夕二度の牛乳を運べば、青年いつしかこの童と親しみ、その後は乳屋の主人とも微笑みて・・・ 国木田独歩 「わかれ」
一 牛乳色の靄が山の麓へ流れ集りだした。 小屋から出た鵝が、があがあ鳴きながら、河ふちへ這って行く。牛の群は吼えずに、荒々しく丘の道を下った。汚れたプラトオクに頭をくるんだ女が鞭を振り上げてあとから・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・お島が炉辺へ行って子供に牛乳をくれようとすると、時にはそれが淡い緑色に凍って、子供に飲ませることも出来ない。台処の流許に流れる水は皆な凍りついた。貯えた野菜までも多く凍った。水汲に行く下女なぞは頭巾を冠り、手袋をはめ、寒そうに手桶を提げて出・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・婆さんも牛乳の入物を持って勝手の方から来た。その後から、マルも随いて入って来た。「マルも年をとりまして御座いますよ。この節は風邪ばかり引いて、嚔ばかり致しております」 こう婆さんが話した。大塚さんはその日別れた妻に逢ったことを、誰も・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・男の子は、日ぐれだから金の窓もしめるのだなと思って、じぶんもお家へかえって、牛乳とパンを食べて寝るのでした。 或日お父さんは、男の子をよんで、「おまいはほんとによくはたらいておくれだ。そのごほうびに、きょうは一日おひまを上げるから、・・・ 鈴木三重吉 「岡の家」
・・・なぎさに破れた絵日傘が打ち寄せられ、歓楽の跡、日の丸の提灯も捨てられ、かんざし、紙屑、レコオドの破片、牛乳の空瓶、海は薄赤く濁って、どたりどたりと浪打っていた。 緒方サンニハ、子供サンガアッタネ。 秋ニナルト、肌ガカワイテ、ナツカシ・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・ひとびとの情で一夏、千葉県船橋町、泥の海のすぐ近くに小さい家を借り、自炊の保養をすることができ、毎夜毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗とたたかい、それでも仕事はしなければならず、毎朝々々のつめたい一合の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きているよ・・・ 太宰治 「黄金風景」
出典:青空文庫