・・・が、その後また遇うたら、悲しそうに首を振っては、ああ、都へ返りたい、ここには牛車も通らないと云うた。あの男こそおれより仕合せものじゃ。――が、少将や康頼でも、やはり居らぬよりは、いた方が好い。二人に都へ帰られた当座、おれはまた二年ぶりに、毎・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・そこに牛車の轍が二すじ、黒ぐろと斜めに通っていた。僕はこの深い轍に何か圧迫に近いものを感じた。逞しい天才の仕事の痕、――そんな気も迫って来ないのではなかった。「まだ僕は健全じゃないね。ああ云う車の痕を見てさえ、妙に参ってしまうんだから。・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・と思うとそのところどころには、青糸毛だの、赤糸毛だの、あるいはまた栴檀庇だのの数寄を凝らした牛車が、のっしりとあたりの人波を抑えて、屋形に打った金銀の金具を折からうららかな春の日ざしに、眩ゆくきらめかせて居りました。そのほか、日傘をかざすも・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・さびしい野道を牛車に牧草を積んだ農夫がただ一人ゆるゆる家路へ帰って行くのを見たときにはちょっと軽い郷愁を誘われた。カールスルーエからはもうすっかり暗くなって、月明かりはあったが景色は見えなかった。科学を誇る国だけに鉄路はなめらかで、汽車の動・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・そして絵巻物に見る牛車と祭礼の神輿とに似ている新形の柩車になった。わたくしは趣味の上から、いやにぴかぴかひかっている今日の柩車を甚しく悪んでいる。外見ばかりを安物で飾っている現代の建築物や、人絹の美服などとその趣を同じくしているが故である。・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・見れば、その牛車一杯に炭俵が積んで来てある。男はそれを運びこんでいるのであった。又何をか云わんや、という表現はこんな場合の実感を伝え得るのである。〔一九三九年十二月〕 宮本百合子 「この初冬」
・・・動力の科学的進歩のことにしても、自動車がガソリンでなく薪で走って、坂にかかると肥桶を積んだ牛車に追いこされるという笑話が万更嘘ばかりでもない今日、現象として科学の発達のよろこびは皮肉と苦笑とを誘って実感から遠いものとなるのはやむを得まい。台・・・ 宮本百合子 「市民の生活と科学」
・・・青い葉の菖蒲に紫の花が咲いているのを代赭色の着物を着た舎人が持って行く姿があざやかであるとか、月の夜に牛車に乗って行くとその轍の下に、浅い水に映った月がくだけ水がきららと光るそれが面白い、と清少納言の美感は当時の宮廷生活者に珍しく動的である・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・呂赫若氏の「牛車」は、植民地作家の作品として、前々号の「新聞配達夫」をも思い起させた。「牛車」を作品全体の効果という点から見ると、細部を形象化するための努力をもって描写が行われているが、読者の心を打つ力では、一見より未熟な手法で書かれていた・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・音羽の通まで牛車で運んで来て、鼠坂の傍へ足場を掛けたり、汽船に荷物を載せる Crane と云うものに似た器械を据え附けたりして、吊り上げるのである。職人が大勢這入る。大工は木を削る。石屋は石を切る。二箇月立つか立たないうちに、和洋折衷とか云・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫