・・・じっとその話に聞き入っていた私は、子爵が韓国京城から帰った時、万一三浦はもう物故していたのではないかと思って、我知らず不安の眼を相手の顔に注がずにはいられなかった。すると子爵は早くもその不安を覚ったと見えて、徐に頭を振りながら、「しかし・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・その時は元宰先生も、とうに物故していましたし、張氏の家でもいつの間にか、三度まで代が変っていました。ですからあの秋山図も、今は誰の家に蔵されているか、いや、未に亀玉の毀れもないか、それさえ我々にはわかりません。煙客翁は手にとるように、秋山図・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・自分の級に英語を教えていた、安達先生と云う若い教師が、インフルエンザから来た急性肺炎で冬期休業の間に物故してしまった。それが余り突然だったので、適当な後任を物色する余裕がなかったからの窮策であろう。自分の中学は、当時ある私立中学で英語の教師・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ 椿岳は物故する前二、三年、一時千束に仮寓していた。その頃女の断髪が流行したので、椿岳も妻女の頭髪を五分刈に短く刈らして、客が来ると紹介していう、これは同庵の尼でございますと。大抵のお客は挨拶にマゴマゴしてしまった。その頃であった、或る・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 数年前物故した細川風谷の親父の統計院幹事の細川広世が死んだ時、九段の坂上で偶然その葬列に邂逅わした。その頃はマダ合乗俥というものがあったが、沼南は夫人と共に一つ俥に同乗して葬列に加わっていた。一体合乗俥というはその頃の川柳や都々逸の無・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 一昨年の夏、ロシアより帰国の途中物故した長谷川二葉亭を、朝野こぞって哀悼したころであった。杉村楚人冠は、わたくしにたわむれて、「君も先年アメリカへの往きか返りかに船のなかででも死んだら、えらいもんだったがなァ」といった。彼の言は、戯言・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 一昨年の夏、露国より帰航の途中で物故した長谷川二葉亭を、朝野挙って哀悼した所であった、杉村楚人冠は私に戯れて、「君も先年米国への往きか帰りかに船の中ででも死んだら偉いもんだったがなア」と言った。彼れの言は戯言である、左れど実際私として・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・して、けれどもそれは無学の女だから、そのような思い切ったむごい仕打ちが出来るのか、と思うと、どうしてどうして、決してそういうものでなく、永く外国で勉強して来た女子大学の婆さん教授で、もうこのお方は先年物故なさいましたが、このお方のために私の・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・ 先年物故した或る作家の遺族の話が出た折、ある事情に通じたひとが「こんなになる位なら、早く結婚させてやるのだった」云々という意味のことを云い、その、させてやる云々という言葉づかいのうちにある重い、家長権的な表情を、私は一人の女として苦痛・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・を文化にもたらす組織として成立し、事業を物故文芸家慰霊祭、遺品展覧会、昨年度優秀文学作品表彰、機関誌『文芸懇話会』の発行とした。そして昭和九年度の文芸懇話会賞は会員である横光利一氏の「紋章」と室生犀星氏の「兄いもうと」におくられたのであった・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
出典:青空文庫