・・・その時でもまだ元の教室の部屋は大体昔のままに物置のような形で保存され黴とほこりと蜘蛛の囲の支配に任せてあったので従ってこのS先生の手紙もずっとそのままに抽出しの中に永い眠りをつづけていた訳である。 その後自分の生活には色々急激な変化が起・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・さて、何の覚悟もない烏合の衆の八十人ではおそらく一坪の物置の火事でも消す事は出来ないかもしれないが、しかし、もしも十分な知識と訓練を具備した八十人が、完全な統制の下に、それぞれ適当なる部署について、そうしてあらかじめ考究され練習された方式に・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・ このような知識は、それだけでは云わばただ物置の中に積み上げられたような状態にある。それが少数であるうちはそれでもよい。しかし数と量が増すにつれて整理が必要になる。その整理の第一歩は「分類」である。適当に仕切られた戸棚や引出しの中に選り・・・ 寺田寅彦 「言語と道具」
・・・如何にも貧相に厚みも重みもない物置小屋のように見えた。往来の上に縦横の網目を張っている電線が透明な冬の空の眺望を目まぐるしく妨げている。昨日あたり山から伐出して来たといわぬばかりの生々しい丸太の電柱が、どうかすると向うの見えぬほど遠慮会釈も・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・関節が弛んで油気がなくなった老朽の自転車に万里の波濤を超えて遥々と逢いに来たようなものである、自転車屋には恩給年限がないのか知らんとちょっと不審を起してみる、思うにその年限は疾ッくの昔に来ていて今まで物置の隅に閑居静養を専らにした奴に違ない・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ いろいろのものが焚かれるようになって来た。物置はそのために隅々までしらべられ、もう十七年も前、駒沢の家から外国旅行に出るとき、遑しい引越し荷物の一部として石油の空かんにつめられた古雑誌も出て来た。どの雑誌も厚くて、いい紙がつかわれてい・・・ 宮本百合子 「折たく柴」
・・・中庭の中央に物置小屋みたいなものがあり、横のあき地に赤錆のついた古金網、ねじ曲った鉄棒、寝台の部分品のこわれなどがウンと積まれている。 半地下室の窓が二つ、その古金物の堆積に向って開いている。女がならんで洗濯している。そこからは石鹸くさ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・彼はよく物置きの屋根の上に這い上っては、中庭ごしにその下宿人の窓の中の生活を観察した。 その部屋にはアルコール・ランプがあった。いろいろの色の液体の入った罎、銅や鉄の屑、鉛の棒などがあった。それらのゴタゴタの間で「結構さん」は、朝から晩・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ 高見権右衛門は裏表の人数を集めて、阿部が屋敷の裏手にあった物置小屋を崩させて、それに火をかけた。風のない日の薄曇りの空に、煙がまっすぐにのぼって、遠方から見えた。それから火を踏み消して、あとを水でしめして引き上げた。台所にいた千場作兵・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「そんなら、大屋さんの物置に伏籠の明いているのがあったから、あれを借りて来ましょう。」「買うまでは借りても好い。」 こう云って置いて、石田は居間に帰って、刀を弔って、帽を被って玄関に出た。玄関には島村が磨いて置いた長靴がある。そ・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫