・・・なんだかこう、神聖なる刑罰其物のような、ある特殊の物、強大なる物、儼乎として動かざる物が、実際に我身の内に宿ってでもいるような心持がする。無論ある程度まで自分を英雄だと感じているのである。奥さんのような、かよわい女のためには、こんな態度の人・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 二 むろん思想上の事は、かならずしも特殊の接触、特殊の機会によってのみ発生するものではない。我々青年は誰しもそのある時期において徴兵検査のために非常な危惧を感じている。またすべての青年の権利たる教育がその一部分――・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・最も手取早くいえば私は詩人という特殊なる人間の存在を否定する。詩を書く人を他の人が詩人と呼ぶのは差支ないが、その当人が自分は詩人であると思ってはいけない、いけないといっては妥当を欠くかもしれないが、そう思うことによってその人の書く詩は堕落す・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ これは、私にとって、特殊的な場合でありますが、長男は、来年小学校を出るのですが、図画、唱歌、手工、こうしたものは自からも好み、天分も、その方にはあるのですが、何にしても、数学、地理、歴史というような、与えられたる事実を記憶したりする学・・・ 小川未明 「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」
・・・其処には只だ一つ宗教というものがあって、其所へ逃げて行く事は出来るけれども、又一面より見れば此の宗教という者も、一種の禁欲主義に外ならないではないか、人間的な生活――此の煩わしい現実の生活から離れて、特殊な欲望を禁じて強いて自らを其の上に置・・・ 小川未明 「絶望より生ずる文芸」
・・・不断の感激を心に持するということは、其の人が特殊な理想主義者でなければならない。人間性の為めの勇敢な戦士であらねばならぬ。現実が極めて安意な無目的の状態に見えるのも、或いは希望の光りに輝いて見えるのも畢竟、主観的の問題である。其の人を離れて・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・それはまあ一般に言えば人の秘密を盗み見るという魅力なんですが、僕のはもう一つ進んで人のベッドシーンが見たい、結局はそういったことに帰着するんじゃないかと思われるような特殊な執着があるらしいんです。いや、そんなものをほんとうに見たことなんぞは・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 喬はその話を聞いたとき、女自身に病的な嗜好があるのなればとにかくだがと思い、畢竟廓での生存競争が、醜いその女にそのような特殊なことをさせるのだと、考えは暗いそこへ落ちた。 その女はおしのように口をきかぬとS―は言った。もっとも話を・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・じつに武蔵野にかかる特殊の路のあるのはこのゆえである。 されば君もし、一の小径を往き、たちまち三条に分かるる処に出たなら困るに及ばない、君の杖を立ててその倒れたほうに往きたまえ。あるいはその路が君を小さな林に導く。林の中ごろに到ってまた・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ただ文芸には文芸の約束があり、倫理学にはその特殊の約束があるのみである。カントの道徳哲学を読んで人間理性の自律の崇高感に打たれないものはないであろう。 倫理学は人間行為の指導原理と法則とを与えようとするのみならず、また学者の個性をも表現・・・ 倉田百三 「学生と教養」
出典:青空文庫