・・・彼には男爵中の最も貧しき財産ながらも、なおかつ財はこれあり、狂的男爵の露命をつなぐ上において、なんのコマルところはないのであるが、彼は何事もしていない。「ロシヤ征伐」において初めて彼は生活の意味を得た。と言わんよりもむしろ、国家の大難に・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・ 尻尾を焼かれた馬が芝生のある傾斜面を、ほえるように嘶き、倒れている人間のあいだを縫って狂的に馳せまわった。 女や、子供や、老人の叫喚が、逃げ場を失った家畜の鳴声に混って、家が倒れ、板が火に焦げる刺戟的な音響や、何かの爆発する轟音な・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・「言い得て、妙である。」「かれは、勉強している。」「なるほど、くるしんでいる。」「狂的なひらめき。」「切れる。」「痛いことを言う。」 以上の讃辞は、それぞれそのひとにお返ししたいのである。だいたい身の毛のよだつ言・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・恁る狂的の人間を写すのを避けるのではない。写生文家自身までが写さるる狂的な人間と同一になるを避けるのである。避けるのではない。そこまで引き込まるる事がおかしくてできにくいのである。 そこで写生文家なるものは真面目に人世を観じておらぬかの・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・第二次大戦の結果は、言論を封鎖し、出版統制を狂的に行ったすべてのファシズム国家の権力は、窮極には倒れざるをえないことを証明した。なぜなら、どんな力でそれについて語り、書く自由を禁じたとしても、「事実」の力が現実に歴史の推移に作用しずにはいな・・・ 宮本百合子 「地球はまわる」
・・・それから順々に二言三言感謝の言葉をのべるものや、中には狂的に法王の手を接吻したりさすったりして祈るものがあるかと思えば、身の浮くほど泣くのも居る。十九番目に母親に抱かれて法王の前にすわった小さい男の子は起ちあがるとすぐ、・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・肉体に黄金に狂的執着なす者も「君のため」にはこれを超越した。そこに義の人ができる。しかしながら因襲的道徳に鋳られし者が習慣性によって壕の埋め草となり蹄の塵となるのは豕が丸焼きにされて食卓に上るのと択ぶところがない。吾人はこの意味なき「忠君」・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫