・・・ 兄は尾張町の角へ出ると、半ば独り言のようにこう云った。「だから一高へはいりゃ好いのに。」「一高へなんぞちっともはいりたくはない。」「負惜しみばかり云っていらあ。田舎へ行けば不便だぜ。アイスクリイムはなし、活動写真はなし、―・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ たね子は夫を見送りながら、半ば独り言のように話しつづけた。「もうゆうべ大しくじりをしたら、あたしでも何をしたかわからないのだから。」 しかし夫は何とも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子はやっとひとりになると、その・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・良平は内心たじろぎながら、云い訣のように独り言を云った。「早く咲くと好いな。」「咲くもんじゃあ。夏でなけりゃ。」 金三はまた嘲笑った。「夏ねえ? 夏なもんか。雨の降る時分だよう。」「雨の降る時分は夏だよう。」「夏は白・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・と泰さんは熱心にその一部始終を聞き終ってから、いつになく眉をひそめて、「形勢いよいよ非だね。僕はお敏さんが失敗したんじゃないかと思うんだが。」と独り言のように云うのです。新蔵はお敏の名前を聞くと、急にまた動悸が高まるような気がしましたから、・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・』と、鉢の開いた頭を聳かせたまま、行きすぎようと致しましたが、恵印はまるで独り言のように、『はてさて、縁無き衆生は度し難しじゃ。』と、呟いた声でも聞えたのでございましょう。麻緒の足駄の歯をよじって、憎々しげにふり返りますと、まるで法論でもし・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・と、独り言をして、いつまでも聞いていますと、そのうちに日がまったく暮れてしまって、広い地上が夜の色に包まれて、だんだん星の光がさえてくる時分になると、いつともなしに、その音色はかすかになって、消えてしまうのでありました。 また明くる・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・と、独り言をしていました。 木々の咲いた花には、朝から、晩になるまで、ちょうや、はちがきてにぎやかでありましたが、日がたつにつれて、花は開ききってしまいました。そして、ある日のこと、ひとしきり風が吹いたときに、花はこぼれるように水の面に・・・ 小川未明 「赤い魚と子供」
・・・ いま、車に乗せられて、うねうねとした長い道を、停車場の方へといった天使は、まことによく晴れわたった、青い空や、また木立や、建物の重なり合っているあたりの景色をながめて、独り言をしていました。「あの黒い、煙の立っている建物は、飴チョ・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・ぼけの花は、すみれが独り言をしてさびしく散ってゆく、はかない影を見たのであります。 ぼけの花は、真紅にみごとに咲きました。そして日の光に照らされて、それは美しかったのであります。 ある朝、ぼけの枝に、きれいな小鳥が飛んできて、いい声・・・ 小川未明 「いろいろな花」
・・・と、三郎がいいますと、ばあさんは、さもうれしそうな顔つきをして、「そうかい。もう、家の勝手口に糞をしなくて、それはいいあんばいだ。」と、独り言をしてゆきすぎました。また弱虫の子供の母親は、ボンがいなくなったと聞いて、家の外に出て・・・ 小川未明 「少年の日の悲哀」
出典:青空文庫