・・・あんまり胸の狭いことは言わんでさ。あんな立派な後見人を持って、シグナルもほんとうにしあわせだと言われるぜ。まとめてやれ、まとめてやれ」 本線シグナルつきの電信柱は、物を言おうとしたのでしたが、もうあんまり気が立ってしまってパチパチパチパ・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・電燈に使い馴れた覆いをかけると、狭い室内は他人の家の一部と思えないような落付きをもった。陽子は、新らしい机の前にかけて見た。正面に夜の硝子窓があった。その面に、電燈と机の上のプリムラの花が小さくはっきり映っている。非常に新鮮な感じであった。・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・停留場までの道は狭い町家続きで、通る時に主人の挨拶をする店は大抵極まっている。そこは気を附けて通るのである。近所には木村に好意を表していて、挨拶などをするものと、冷澹で知らない顔をしているものとがある。敵対の感じを持っているものはないらしい・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・太う武芸に長けておじゃるから思いやるも女々しけれど……心にかかるは先ほどの人々の浮評よ。狭い胸には持ちかねて母上に言い出づれば、あれほどに心強うおじゃるよ。看経も時によるわ、この分きがたい最中に、何事ぞ、心のどけく。そもこの身の夫のみのお身・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・梶はまたすぐ、新武器のことについて訊きたい誘惑を感じたが、国家の秘密に栖方を誘いこみ、口を割らせて彼を危険にさらすことは、飽くまで避けて通らねばならぬ。狭い間道をくぐる思いで、梶は質問の口を探しつづけた。「俳句は古くからですか。」 ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・それを見ようと思って、己は海水浴場に行く狭い道へ出掛けた。ふと槌の音が聞えた。その方を見ると、浴客が海へ下りて行く階段を、エルリングが修覆している。 己が会釈をすると、エルリングは鳥打帽の庇に手を掛けたが、直ぐそのまま為事を続けている。・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・眼が鈍い、頭が悪い、心臓が狭い、腕がカジカンでいる、どの性質にも才能にも優れたものはない、――しかも私は何事をか人類のためになし得る事を深く固く信じています。もう二十年! そう思うとぐッたりしていた体に力がみなぎって来る事もあります。 ・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫