・・・旦那くらい好い性質の人で、旦那くらい又、女のことに弱い人もめずらしかった、旦那が一旗揚げると言って、この地方から東京に出て家を持ったのは、あれは旦那が二十代に当時流行の猟虎の毛皮の帽子を冠った頃だ。まだお新も生れないくらいの前のことだ。あの・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・黒光りのする店先の上がり框に腰を掛けた五十歳の父は、猟虎の毛皮の襟のついたマントを着ていたようである。その頭の上には魚尾形のガスの炎が深呼吸をしていた。じょさいのない中老店員の一人は、顧客の老軍人の秘蔵子らしいお坊っちゃんの自分の前に、当時・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ チョンチョンと下足札を鳴らすが、小屋は満員で、騒然としていて、顔役は、まがい猟虎の襟付外套で股火をし、南京豆の殼が処嫌わず散らかっているだけだ。山塞の頭になった役者が粗末な舞台で、「ええ、きりきりあゆめえ!」と声を搾って大見得・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
出典:青空文庫