・・・そこに頬骨の高い年増が一人、猪首の町人と酒を飲んでいた。年増は時々金切声に、「若旦那」と相手の町人を呼んだ。そうして、――穂積中佐は舞台を見ずに、彼自身の記憶に浸り出した。柳盛座の二階の手すりには、十二三の少年が倚りかかっている。舞台には桜・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・と、つい釣込まれたかして、連もない女学生が猪首を縮めて呟いた。 が、いずれも、今はじめて知ったのでは無さそうで、赤帽がしかく機械的に言うのでも分る。 かかる群集の動揺む下に、冷然たる線路は、日脚に薄暗く沈んで、いまに鯊が釣れるから待・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ と引捻れた四角な口を、額まで闊と開けて、猪首を附元まで窘める、と見ると、仰状に大欠伸。余り度外れなのに、自分から吃驚して、「はっ、」と、突掛る八ツ口の手を引張出して、握拳で口の端をポン、と蓋をする、トほっと真白な息を大きく吹出す…・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 汗ばんだ猪首の兜、いや、中折の古帽を脱いで、薄くなった折目を気にして、そっと撫でて、杖の柄に引っ掛けて、ひょいと、かつぐと、「そこで端折ったり、じんじんばしょり、頬かぶり。」 と、うしろから婦がひやかす。「それ、狐がいる。・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・短躯猪首。台詞がかった鼻音声。 酒が相当にまわって来たころ、僕は青扇にたずねたのである。「あなたは、さっき職業がないようなことをおっしゃったけれど、それでは何か研究でもしておられるのですか?」「研究?」青扇はいたずら児のように、・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 少しなえた様な服を着て、猪首の巡査は、何か云っては赤い顔をした。 疎な髯のある肉のブテブテした顔が、ポーッと赤くなり、東北音の東京弁で静かに話す様子は、巡査と云う音を聞いた丈で、子供の時分から私共の頭にこびり付いて居る、・・・ 宮本百合子 「盗難」
出典:青空文庫