・・・それを下りさまに、ふと猶予ったように見えた。ああ、これは心ないと、見ているものの心着く時、褄を取って高く端折った。婦は誰も長襦袢を着ているとは限らない。ただ一重の布も、膝の下までは蔽わないで、小股をしめて、色薄く縊りつつ、太脛が白く滑かにす・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・「……で甚だ恐縮な訳ですが、妻も留守のことで、それも三四日中には屹度帰ることになって居るのですから、どうかこの十五日まで御猶予願いたいものですが、……」「出来ませんな、断じて出来るこっちゃありません!」 斯う呶鳴るように云った三・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ いやでござりますともさすがに言いかねて猶予う光代、進まぬ色を辰弥は見て取りて、なお口軽に、私も一人でのそのそ歩いてはすぐに飽きてしまってつまらんので、相手欲しやと思っていたところへここにおいでなさったのはあなたの因果というもの、御迷惑・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・それで、第一審の判決は大体の想像では、みんな半年位ずつ減って、上田と大川は執行猶予になるだろうということだった。上田のお母アはすっかり喜んで、お前の母にもあまりひどい事は云わなくなってきた。 判決の日に、みんな隣りの地方裁判所のあるH市・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・もはや猶予の時ではない。あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、下役たちに引き渡すよりは、私が、それを為そう。きょうまで私の、あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後の挨拶だ。私の義務です。私があの人を売ってやる。つらい立場だ。誰がこの・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・私は、一秒の猶予もなしに、態度をきめた。そのときの私には、深田氏訪問以上の仕合せを考案しているいとまがなかった。雨はあがり、雲は矢のように疾駆し、ところどころ雲の切れま、洗われて薄い水いろの蒼空が顔を見せて、風は未だにかなり勁く、無法者、街・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・取調べの末、起訴猶予になった。昭和五年の歳末の事である。兄たちは、死にぞこないの弟に優しくしてくれた。 長兄はHを、芸妓の職から解放し、その翌るとしの二月に、私の手許に送って寄こした。言約を潔癖に守る兄である。Hはのんきな顔をしてやって・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・一刻の猶予もならんのです。すぐまいりましょう。」 と言って、立ち上る。 私は一緒に行くべきかどうか迷った。いま彼をひとりで、外へ出すのも気がかりであった。この勢いだと、彼は本当にその一ばん上の兄さんの居所に押しかけて行って大騒ぎを起・・・ 太宰治 「女神」
・・・しかしどんな条件があるのだろうと、誰も猶予する。「僕がしましょう。」興奮の余りに、上わ調子になった声で、チルナウエルが叫んだ。「その日数だけ休暇が貰えるかね。半年は掛かるよ。」中尉はこう云って、小さい銀行員を、頭から足まで見卸した。・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・しもわからなくてもさもおかしそうに笑っている人を見れば自分も笑いたくなると同様に、上手な俳優が身も世もあられぬといったような悲しみの涙をしぼって見せれば、元来泣くように準備のととのっている観客の涙腺は猶予なく過剰分泌を開始するのであって、言・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫