・・・ 僕にだってそんなにはないよ。猿面冠者の方かね。太閤様だな。……ハハハ。せい公そうだろう?」と茶湯台の向うに坐ってお酌していた茶店の娘に同感を強いるような調子で言った。「そうのようですね。お父さんにはそんなにないようですね」と、娘も何気・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・君の文学は、猿面冠者のお道化に過ぎんではないか。僕は、いつも思っていることだ。君は、せいぜい一人の貴族に過ぎない。けれども、僕は王者を自ら意識しているのだ。僕は自分より位の低いものから、訳のわからない手紙を貰ったくらいにしか感じなかった。僕・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 男は書きかけの原稿用紙に眼を落してしばらく考えてから、題を猿面冠者とした。それはどうにもならないほどしっくり似合った墓標である、と思ったからであった。 太宰治 「猿面冠者」
・・・一方は下賤から身を起して、人品あがらず、それこそ猿面の痩せた小男で、学問も何も無くて、そのくせ豪放絢爛たる建築美術を興して桃山時代の栄華を現出させた人だが、一方はかなり裕福の家から出て、かっぷくも堂々たる美丈夫で、学問も充分、そのひとが草の・・・ 太宰治 「庭」
・・・と、おとなしいお嫂さんも、さすがに我慢できなかったのでしょう、拝むようにして兄さんにたのんで、とにかくそれだけは撤回させてもらいましたが、兄さんのお写真なんかを眺めていたら、猿面冠者みたいな赤ちゃんが生れるに違いない。兄さんは、あんな妙ちき・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
・・・芝居もある。猿面冠者の立身物語は、そのような立身をすることのない封建治下の人民に、人間的あこがれをよびさますよすがであった。自分の生涯にはない、境遇からの脱出の物語だった。太閤記と云う名をきいただけで、日本の庶民の伝承のうちにめをさます予備・・・ 宮本百合子 「その柵は必要か」
・・・錦に包まれて暮しながら、お茶々といった稚い時代から、彼女の心に根強く植付けられていた「猿面」秀吉に対する軽蔑は、根深いものがあったろう。その秀吉の愛情を独占するということは、とりも直さず女性としては一つの復讐であった。淀君は殆んど分別なく我・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫