・・・必ずしも世間偉士無からざるも 君が忠孝の双全を得るに輸す 浜路一陣のこうふう送春を断す 名花空しく路傍の塵に委す 雲鬟影を吹いて緑地に粘す 血雨声無く紅巾に沁む 命薄く刀下の鬼となるを甘んずるも 情は深くして豈意中の人を忘れ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・もし欧羅巴だったら小説家としても相応に優遇され、二葉亭もまた文人たるを甘んずる事が出来たであろう。 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・大多数が支配階級の附属たり、また擁護者たることを甘んずるとしても、芸術家が正義の感激から、被搾取階級のために、戦わずして止むべきかは、一にその人の良心に依ることです。 芸術に於て、プロレタリアの作家の出現は、すでに必然の真理とします。た・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・その姉のさびしい生涯を想えば、もはや月並みな若い娘らしい幸福に甘んずることは許されず、姉の一生を吹き渡った孤独な冬の風に自分もまた吹雪と共に吹かれて行こうという道子にとっては、自分の若さや青春を捨てて異境に働き、異境に死ぬよりほかに、姉に報・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・学者が第一次近似をもって甘んずる時、世人は却って第二次近似あるいは数学的の精確を期待する場合もあり。これは後に詳説する天気予報の場合において特に著し。かくのごとき見解と期待との相違より生ずる物議は世人一般の科学的知識の向上とともに減ずるは勿・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・わるく云えば立ち腐れを甘んずる様になった。其癖世間へ対しては甚だ気きえんが高い。何の高山の林公抔と思っていた。 その中、洋行しないかということだったので、自分なんぞよりももっとどうかした人があるだろうから、そんな人を遣ったらよかろうと言・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・けれどもどうでしょうこういう軍人教育者実業家などが公務をしまって家へ帰ってさあこれからがおれの身体だという場合に、やはり同じような窮屈極まる生活に甘んずるでしょうか。人によっては寝食の時間など大変規則正しい人もあるかも知れないが、原則から云・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・ こういうと何だか現在に甘んずる成行主義のように御取りになるかも知れないが、そう誤解されては遺憾なので、私は近時の或人のように理想は要らないとか理想は役に立たないとか主張する考は毛頭ないのです。私はどんな社会でも理想なしに生存する社会は・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・我が人民の智力学芸に欠点あるも、よくこれを容れてその釁に切込むことなく、永く対立の交際をなして、これに甘んずる者か。余輩断じてその然らざるを証す。結局双方の智力たがいに相頡頏するに非ざれば、その交際の権利もまた頡頏すべからざるなり。交際の難・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫