・・・私は蛞蝓に会う前から、私の知らない間から、――こいつ等は俺を附けて来たんじゃないかな―― だが、私は、用心するしないに拘らず、当然、支払っただけの金額に値するだけのものは見得ることになった。私の目から火も出なかった。二人は南京街の方へと・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・食物の品柄次第にて、にわかにこれを喰いて腹を痛むることあり、養生法においてもっとも戒むるところなれば用心せざるべからず。あるいは物の性質により、遠慮なく喰いて害をなさざることもあり、喰いて害なくば颯々と喰うもまた可なり。ゆえに漸進急進の別は・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・これで体は大切にいたして、更けない用心をいたしていますの。でも夫の心は繋ぎ留めることが出来ませんでしたの。 ―――――――――――――――――――― 翌日の午後二時半にピエエル・オオビュルナンは自用自動車の上に腰・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・と詠み、雪の頃旅立つ人を送りては、「用心してなだれに逢ふな」と詠めり。楽みては「楽し」と詠み、腹立てては「腹立たし」と詠み、鳥啼けば「鳥啼く」と詠み、螽飛べば「螽飛ぶ」と詠む。これ尋常のことのごとくなれど曙覧以外の歌人には全くなきことなり。・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ さてその人と私らは別れましたけれども、今度はもう要心して、あの十間ばかりの湾の中でしか泳ぎませんでした。 その時、海岸のいちばん北のはじまで溯って行った一人が、まっすぐに私たちの方へ走って戻って来ました。「先生、岩に何かの足痕・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ 一方では、前年ヴェノスアイレスの国際ペンクラブ大会に日本代表として出席した島崎藤村が、大会の反ファッシズムに高まった雰囲気から、彼独特の用心ぶかさで日本の立場を守ってかえって来て、日本ペンクラブの創立に着手しはじめている時であった。ま・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・たとい当番たりとも在宿して火の用心を怠らぬようにいたせというのが一つ。討手でないのに、阿部が屋敷に入り込んで手出しをすることは厳禁であるが、落人は勝手に討ち取れというのが二つであった。 阿部一族は討手の向う日をその前日に聞き知って、まず・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 宇野浩二氏は親心のびくつく大切な心理を圧えることに用心をされたのではなく、不恰好にそれをださないことに用心をされたのであって、作者と作中人物とがここまで素早く身を躱して、眼にもとまらぬ早さである。この早さが私には受けとり難い。もっとは・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・ フィンクはそっと立ち上がった。長椅子に音をさせないように立ち上がった。そして探りながら廊下の戸の方へ行った。 用心して戸口を出て跡を締めた。 それから、跡を追っ掛けて来るものでもあるように、燈の光のぼんやり差している廊下を、寐・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・自分の独創を見せたがり、人まねと思われまいという用心にひきずられる。他をまねる場合でも、「人見せ善根」になってしまう。 こういう大将は、地下の分限者、町人などにうまく付けこまれる。やがて、家風が町人化し、口前のうまい、利をもって人々を味・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫