・・・とおかみさんは強気のひとらしく、甲高い声で拒否し、「売り物じゃないんだ。とおしてくれよ、歩かれないじゃないか!」人波をかきわけて、まっすぐに私のところへ来て私のとなりに坐り込みました。この時の、私の気持は、妙なものでした。私は自分を、女の心・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・下品に調子づいた甲高い声だったので私は肩をすくめ、こんどは出来るだけ声を低くして、「あのね、明日は、どうなったっていい、と思い込んだとき女の、一ばん女らしさが出ていると、そう思わない?」「なんだって?」あの人が、まごついているので私は笑・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・その時のおおぎょうな甲高い叫び声が狩り場の群犬のほえ声にそっくりであるのは故意の寓意か暗合かよくわからない。この三人が、姫君のためにはハッピーエンド、彼らの目には悲劇であるかもしれない全編の終局の後に、短いエピローグとして現われ、この劇の当・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・それはほとんど生きているとは思われない海鼠のような団塊であったが、時々見かけに似合わぬ甲高いうぶ声をあげて鳴いていた。 三毛は全く途方にくれているように見えた。赤子の首筋をくわえて庭のほうへ行こうとしているかと思うと、途中で地上におろし・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・恐ろしく美々しい衣装を着た役者がおおぜいではげしい立ち回りをやったり、甲高い悲しい声で歌ったりした。囃の楽器の音が耳の痛くなるほど騒がしかった。ふたをした茶わんに茶を入れて持って来た。熱湯で湿した顔ふきを持って来た。……少しセンチメンタルに・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・その時主婦のルコック夫人が甲高い声を張上げて Elle a rougi ! elle a rougi ! と叫んだ。私はそのときの主婦の灰汁の強過ぎるパリジェンヌぶりに軽い反感を覚えないではいられなかったのであった。 あとで担保に入れて・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・ 先ず見えない処で、彼女の甲高い返事の第一声が響く。すぐ、小走りに襖の際まで姿を現し、ひょいひょいと腰をかがめ、正直な赫ら顔を振って黒い一対の眼で対手の顔を下から覗き込み乍ら「はい、はい」と間違なく、あとの二つを繰返す。――・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・初夏に近い宵らしく下駄の音などが頻りに聞え、外で遊んでいる子供らの甲高い声もする。切れぎれにラジオも響いている。 自分は畳んだ羽織やちり紙を枕がわりに頭の下へかい、踵の方に力をこめて、背筋をのばすように仰向きに寝ながら、それらの街の音を・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・祖父から朝夕の祈祷をおそわって、しっかり覚え込んでいたゴーリキイは、体を振り、甲高い声で祖父が祈るのを聞いていた。そして「祖父が間違えはしまいか、一言でも抜かしはしまいか?」と一生懸命跡をつける。たまにそういうことがあると、ゴーリキイの心に・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・彼は鼻にかかる甲高い声を出した。その夜は、低い声で、彼の心を蹴とばして他人のものになった女のことを母娘に話してきかせた。油井が最後の訣れにその女と小田原へ行ったというところへ来たとき、お清は、「ああ、みのちゃん、お前ちょっとこれ沸しとい・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
出典:青空文庫