・・・ 椿岳は晩年には『徒然草』を好んで、しばしば『徒然草』を画題とした。堀田伯爵のために描いた『徒然草』の貼交ぜ屏風一双は椿岳晩年の作として傑作の中に数うべきものであって、その下画らしいものが先年の椿岳展覧会にも二、三枚見えた。依田学海翁の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・馬の顔を斜に見た処で、無論少年の手には余る画題であるのを、自分はこの一挙に由て是非志村に打勝うという意気込だから一生懸命、学校から宅に帰ると一室に籠って書く、手本を本にして生意気にも実物の写生を試み、幸い自分の宅から一丁ばかり離れた桑園の中・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・自分は思った、むしろこの二人が意味ある画題ではないかと。 国木田独歩 「小春」
・・・公園の中よりは反対の並み木道を行ったほうが私の好きな画題は多いらしく思われた。しかしせっかくここまで来て、名高いこの公園を一見しないのも、あまりに世間というものに申し訳がないと思って大きな鳥居をくぐってはいって行った。 いつのまにか宮の・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・こういう画題をさし絵でなくするのはむつかしいものであろうとは思うがなんとかそこに機微なある物が一つあるであろうとは思う。「クローデル」はよくその人が出ているところがある。私はこの画家が時々もっと気まぐれを出していろいろな「試み」をやってくれ・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・途中の沼地に草が茂って水牛が遊んでいたり、川べりにボートを造っている小屋があったり、みんなおもしろい画題になるのであった。土人の女がハイカラな洋装をしてカトリックの教会からゾロゾロ出て来るのに会った。 寺へ着くと子供が蓮の花を持って来て・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・俳句の全然わからなかったらしいチャンバーレン氏の言ったように、それはただ油絵か何かの画題のようなものに過ぎなくなり、芭蕉の有名な句でも「枯れ枝にからすのいる秋景」になってしまうであろう。この、画題と俳句との相違はどこから生まれるかというと、・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ むしろ平凡な画題で、作者もわからぬ。が、自分はこの絵を見る度に静かな田舎の空気が画面から流れ出て、森の香は薫り、鵯の叫びを聞くような気がする。その外にまだなんだか胸に響くような鋭い喜びと悲しみの念が湧いて来る。 二十年前の我家のす・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・新宿の帝都座で、モデルの女を雇い大きな額ぶちの後に立ったり臥たりさせ、予め別の女が西洋名画の筆者と画題とを書いたものを看客に見せた後幕を明けるのだという話であった。しかしわたくしが事実目撃したのは去年になってからであった。 戦争前からわ・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・さ、豊醇さは自然の描写から遠く失われ、一方に無情的自然観を伝承していると同時に、町人の遊山の場面として生活に入って来る自然、あるいは不自由な困難な道中の印象としてのこされた自然、絵画の分野では、装飾的画題としての自然が描かれている。 明・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
出典:青空文庫