・・・ と祖母が軒先から引返して、番傘を持って出直す時、「あのう、台所の燈を消しといてくらっしゃいよ、の。」 で、ガタリと門の戸がしまった。 コトコトと下駄の音して、何処まで行くぞ、時雨の脚が颯と通る。あわれ、祖母に導かれて、振袖・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ ――逢いに来た――と報知を聞いて、同じ牛込、北町の友達の家から、番傘を傾け傾け、雪を凌いで帰る途中も、その婦を思うと、鎖した町家の隙間洩る、仄な燈火よりも颯と濃い緋の色を、酒井の屋敷の森越に、ちらちらと浮いつ沈みつ、幻のように視たので・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・ 小暇を得て、修善寺に遊んだ、一――新聞記者は、暮春の雨に、三日ばかり降込められた、宿の出入りも番傘で、ただ垂籠めがちだった本意なさに、日限の帰路を、折から快晴した浦づたい。――「当修善寺から、口野浜、多比の浦、江の浦、獅子浜、馬込崎と・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・(やや息忙その女が、先生、宿へ着きますと、すぐ、あの、眉毛を落しましたの。(顔を上げつつ、颯髪もこんなにぐるぐる巻にしたんです。画家 ははあ。夫人 先生。(番傘を横に、うなだれて、さしうつむく。頸脚雪を欺宿の男衆が申したのは、余所の・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 今しがた一時、大路が霞に包まれたようになって、洋傘はびしょびしょする……番傘には雫もしないで、俥の母衣は照々と艶を持つほど、颯と一雨掛った後で。 大空のどこか、吻と呼吸を吐く状に吹散らして、雲切れがした様子は、そのまま晴上りそうに・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・ 先刻のあの提灯屋は、絵比羅も何にも描いてはいない。番傘の白いのを日向へ並べていたんだが、つい、その昔を思出して、あんまり店を覗いたので、ただじゃ出て来にくくなったもんだから、観光団お買上げさ。――ご紋は――――牡丹――・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・見台の横に番傘をしばりつけ、それで雪を避けている筈だが、黒いマントはしかし真っ白で、眉毛まで情なく濡れ下っていた。雪達磨のようにじっと動かず、眼ばかりきょろつかせて、あぶれた顔だった。人通りも少く、こんな時にいつまでも店を張っているのは、余・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 宿について、夕食までに散歩しようと、宿の番傘を二つ借りて、海辺に出て見た。雨天のしたの海は、だるそうにうねって、冷いしぶきをあげて散っていた。ぶあいそな、なげやりの感じであった。 ふりかえって、まちを見ると、ただ、ぱらぱらと灯が散・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・そう言い置いて次郎兵衛は居酒屋へ引返して亭主を大声で叱りつけながら番傘を一ぽん借りたのである。やいお師匠さんの娘。おまえの親爺にしろおふくろにしろ、またおまえにしろ、おれをならずものの呑んだくれのわるいわるい悪者と思っているにちがいない。と・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・宿の庭先に兎が子供を連れて遊びに来たり、山鳥が餌をあさり歩くことも珍しくないそうである。 夜中雨が降って翌朝は少し小降りにはなったがいつ止むとも見えない。宿の番傘を借りて明神池見物に出掛けた。道端の熊笹が雨に濡れているのが目に沁みるほど・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
出典:青空文庫