・・・室は前のと番号が一つ違うだけで、つまりその西隣であった。壁一重隔てた昔の住居には誰がいるのだろうと思って注意して見ると、終日かたりと云う音もしない。空いていたのである。もう一つ先がすなわち例の異様の音の出た所であるが、ここには今誰がいるのだ・・・ 夏目漱石 「変な音」
これが今日のおしまいだろう、と云いながら斉田は青じろい薄明の流れはじめた県道に立って崖に露出した石英斑岩から一かけの標本をとって新聞紙に包んだ。 富沢は地図のその点に橙を塗って番号を書きながら読んだ。斉田はそれを包みの・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・みんなはそれから番号をかけて右向けをして順に入口からはいりましたが、その間中も変な子供は少し額に皺を寄せて〔以下原稿数枚なし〕と一郎が一番うしろからあまりさわぐものを一人ずつ叱りました。みんなはしんとなりました。「みなさん休みは・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・直れっ。番号。」兵士「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、」特務曹長「よし。閣下はまだおやすみだ。いいか。われわれは軍律上少しく変則ではあるがこれから食事を始める。」兵士悦ぶ。曹長特務曹長「いや、盗むというのはいか・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・ 麻の大前垂をかけ、ニッケルの番号札を胸に下げて爺の赤帽は、ぼんやりした口調で、 ――波止場へは別だよ。と答えた。 ――遠い? ここから。 ――相当…… 馬車を見つけなければならないのだそうだ。 ――ここに待って・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・よりひろやかで、充実した人間性を求めるということのために、権力は自由を奪い、人間檻のなかにうちこんで、時間に関する観念や自分のいる位置についての観念を全く失わさせ、番号でよんで、法律でさばくという状態は、野蛮であり、資本主義の権力の非理性さ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・一人一人から名前を取って番号形にしてしまうと同じで、兵隊でも監獄でも個性を示す銘々の着物は決して着せない。女学校でさえ制服のスカートの長さを、長いとか短いとか、喧しくいった。男はすべていがぐり、女のパーマネントは打倒。そして私たちは戦争に追・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・洞を潜って社に這入ると、神主がお初穂と云って金を受け取って、番号札をわたす。伺を立てる人をその番号順に呼び入れるのである。 文吉は持っていただけの銭を皆お初穂に上げた。しかし順番がなかなか来ぬので、とうとう日の暮れるまで待った。何も食わ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 建築の出来上がった時、高塀と同じ黒塗にした門を見ると、なるほど深淵と云う、俗な隷書で書いた陶器の札が、電話番号の札と並べて掛けてある。いかにも立派な邸ではあるが、なんとなく様式離れのした、趣味の無い、そして陰気な構造のように感ぜられる・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・そこで二人は都電で六本木まで行くことにしたが、栖方は、自動車の番号を梶に告げ、街中で見かけたときはその番号を呼び停めていつでも乗ってくれと云ったりした。電車の中でも栖方は、二十一歳の自分が三十過ぎの下僚を呼びつけにする苦痛を語ってから、こう・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫