・・・御主人が御捕われなすった後、御近習は皆逃げ去った事、京極の御屋形や鹿ヶ谷の御山荘も、平家の侍に奪われた事、北の方は去年の冬、御隠れになってしまった事、若君も重い疱瘡のために、その跡を御追いなすった事、今ではあなたの御家族の中でも、たった一人・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・疫の神だの疱瘡の神だのと、よく言うじゃないか、みんなこれは病人がその熱の形を見るんだっさ。 なかにも、これはちいッと私が知己の者の維新前後の話だけれども、一人、踊で奉公をして、下谷辺のあるお大名の奥で、お小姓を勤めたのがね、ある晩お相手・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・二 江戸名物軽焼――軽焼と疱瘡痲疹 軽焼という名は今では殆んど忘られている。軽焼の後身の風船霰でさえこの頃は忘られてるので、場末の駄菓子屋にだって滅多に軽焼を見掛けない。が、昔は江戸の名物の一つとして頗る賞翫されたものだ。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ その証拠に、六つの年に疱瘡に罹って以来の、医者も顔をそむけたというおのが容貌を、十九歳の今日まで、ついぞ醜いと思ったことは一度もなく、六尺三寸という化物のような大男に育ちながら、上品典雅のみやび男を気取って、熊手にも似たむくつけき手で・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・三日、癸卯、晴、鶴岳宮の御神楽例の如し、将軍家御疱瘡に依りて御出無し、前大膳大夫広元朝臣御使として神拝す、又御台所御参宮。十日、庚戌、将軍家御疱瘡、頗る心神を悩ましめ給ふ、之に依つて近国の御家人等群参す。廿九日、己巳、雨降る、将軍家御平癒の・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・ 一八五二年すなわち十歳のとき学校へ入るために Eton に行ったが、疱瘡に罹りまた百日咳に煩わされたりした。それで Wimbledon Common にあった George Murray という人の私塾のような学校に入って、そこで代数・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・彼は幼少の時激烈なる疱瘡に罹った。身体一杯の疱瘡が吹き出した時其鼻孔まで塞ってしまった。呼吸が逼迫して苦んだ。彼の母はそれを見兼ねて枳の実を拾って来て其塞った鼻の孔へ押し込んでは僅かに呼吸の途をつけてやった。それは霜が木の葉を蹴落す冬のこと・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 驢馬が頭を下げてると荷物があんまり重過ぎないかと驢馬追いにたずねましたし家の中で赤ん坊があんまり泣いていると疱瘡の呪いを早くしないといけないとお母さんに教えました。 ところがそのころどうも規則の第一条を用いないものができてきました・・・ 宮沢賢治 「毒もみのすきな署長さん」
・・・Yのは、吸収がよく怪しいと思っていると、十四五年ぶりの植疱瘡では無理もない、鹿児島の市を歩いている頃からそろそろ妙になって来た。Y、繃帯の上からたたきながら「大丈夫、何でもない、ね、ね」と気休めを求めていたが、昨日は気分悪く、目が醒めたら発・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 翌年又五歳になる平内が流行の疱瘡で死んだ。これは安永四年三月二十八日の事である。 るんは祖母をも息子をも、力の限介抱して臨終を見届け、松泉寺に葬った。そこでるんは一生武家奉公をしようと思い立って、世話になっている笠原を始、親類に奉・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫