・・・……これで戻駕籠でも思出すか、善玉の櫂でも使えば殊勝だけれども、疼痛疼痛、「お京何をする。」……はずんで、脊骨……へ飛上る。浅草の玉乗に夢中だったのだそうである。もっとも、すぺりと円い禿頭の、護謨、護謨としたのには、少なからず誘惑を感じたも・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ やがて、唇にふくまれた時は、かえって稚児が乳を吸うような思いがしたが、あとの疼痛は鋭かった。 渠は大夜具を頭から引被った。「看病をいたしますよ。」 お澄は、胸白く、下じめの他に血が浸む。……繻子の帯がするすると鳴った。・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・人形使 何の貴女様、この疼痛は、酔った顔をそよりそよりと春風に吹かれますも、観音様に柳の枝から甘露を含めて頂きますも、同じ嬉しさでござります。……はたで見ます唯今の、美女でもって夜叉羅刹のような奥方様のお姿は、老耄の目には天人、女神をそ・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・朝起きては、身の内の各部に疼痛倦怠を覚え、その業に堪え難き思いがするものの、常よりも快美に進む食事を取りつつひとたび草鞋を踏みしめて起つならば、自分の四肢は凛として振動するのである。 肉体に勇気が満ちてくれば、前途を考える悲観の観念もい・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・馬琴が右眼に故障を生じたのは天保四年六十七歳の八、九月頃からであったが、その時はもとより疼痛を伴わなかったのであろう、余り問題としなかったらしい。が、既に右眼の視力を奪われたからには、霜を踏んで堅氷到るで、左眼もまたいつ同じ運命に襲われるか・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 腰の傷の疼痛で眠れない田川は、水を飲ましてもらいたいと思いながら声をかけた。「火酒は残っていねえか? チッ! 俺れもやられた!」「やっぱし、あしこのところからはいろうとしたのか?」「いや、ずっと上へ廻ったんだ。ところがそこ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ 凍った空気を呼吸するたびに、鼻に疼痛を感じながら栗本は、三和土にきしる病室の扉の前にきた。 扉を押すと、不意に、温かい空気にもつれあって、クレゾールや、膿や、便器の臭いが、まだ痛みの去らない鼻に襲いかゝった。 踵を失った大西は・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ 疼痛。からだがしびれるほど重かった。ついであのくさい呼吸を聞いた。「阿呆」 スワは短く叫んだ。 ものもわからず外へはしって出た。 吹雪! それがどっと顔をぶった。思わずめためた坐って了った。みるみる髪も着物ももまっ・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ 重い、けだるい脚が一種の圧迫を受けて疼痛を感じてきたのは、かれみずからにもよくわかった。腓のところどころがずきずきと痛む。普通の疼痛ではなく、ちょうどこむらが反った時のようである。 自然と身体をもがかずにはいられなくなった。綿のよ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・そして、その後では、新鮮な溌溂たる疼痛だけが残された。「オーイ、昨夜はもてたかい?」 ファンネルの烟を追っていた火夫が、烟の先に私を見付けて、デッキから呶鳴った。「持てたよ。地獄の鬼に!」 私は呶鳴りかえした。「何て鬼だ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫