・・・汚名、半気ちがいとしての汚名、これをどうする。病苦、人がそれを信じて呉れない皮肉な病苦、これをどうする。そうして、肉親。「ねえ、おまえは、やっぱり私の肉親に敗れたのだね。どうも、そうらしい。」 かず枝は、雑誌から眼を離さず、口早に答・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・こんな心持であったから、多少の病苦はあったにもかかわらず、心は不思議なくらい愉快であった。呑気にあせらずよく養生したためか、あの後はからだが却って前よりは良くなった。そして医者や友達の勧めるがまま運動を始めた。テニスもやった、自転車も稽古し・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・高く釣った蚊屋の中にしょんぼり坐っているのは年とった主婦で、乱れた髪に鉢巻をして重い病苦に悩むらしい。亭主はその傍に坐って背でも撫でているけはいである。蚊屋の裾には黒猫が顔を洗っている。 やもりと荒物屋には何の縁もないが、何物かを呪うよ・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・またあるいは一方の病気の如き、固より他の一方に痛痒なけれども、あたかもその病苦を自分の身に引受くるが如くして、力のあらん限りにこれを看護せざるべからず。良人五年の中風症、死に至るまで看護怠らずといい、内君七年のレウマチスに、主人は家業の傍ら・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・これも哲学流にていえば、等しく死する病人なれば、望なき回復を謀るがためいたずらに病苦を長くするよりも、モルヒネなど与えて臨終を安楽にするこそ智なるがごとくなれども、子と為りて考うれば、億万中の一を僥倖しても、故らに父母の死を促がすがごときは・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・たらちねの花見の留守や時計見る 内の者の遊山も二年越しに出来たので、予に取っても病苦の中のせめてもの慰みであった。彼らの楽みは即ち予の楽みである。○二、三年前に不折が使い古しの絵具を貰って、寝て居りながら枕元にある活花盆栽などの・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
この作品は「新聞配達夫」とは又別の意味で一気に終りまで読ませ、しかもなかなかひきつけるところのある作品である。病苦をめぐる良人の感情、妻の感情など素直にひたむきに描れているし、淫売屋での二人の女の会話のところなども自然であ・・・ 宮本百合子 「入選小説「毒」について」
・・・前後二十余回に亙って宮本が病苦をおして「懇々」という形容詞をつけてよいほどスパイ摘発の意味と事実を論告したにもかかわらず、主文にあらわれた判決理由は十一年前宮本が検事局によって起訴された理由と九分通りまで同じに、事実と異った捏造によって書か・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 人間は病苦と淋しさに堪え得る強い心がないのであろうか。 それ等の涙の種を忘れ得る専心の仕事を得られないものであろうか。 斯う思うにつけ、知人の一人でまだ若い人が自分の病苦を未知な子孫に与えるのに忍びないと云って、孤独の一生を送・・・ 宮本百合子 「ひととき」
・・・そこで病苦にも増したせつない思いをしながら、忠利は「許す」と言ったのである。 殉死を許した家臣の数が十八人になったとき、五十余年の久しい間治乱のうちに身を処して、人情世故にあくまで通じていた忠利は病苦の中にも、つくづく自分の死と十八人の・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫