・・・一箇月たって腹部の傷口だけは癒着した。けれども私は伝染病患者として、世田谷区・経堂の内科病院に移された。Hは、絶えず私の傍に附いていた。ベエゼしてもならぬと、お医者に言われました、と笑って私に教えた。その病院の院長は、長兄の友人であった。私・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・傷の癒着と、こういう全身的な衝撃の余韻とがおなじテムポで消えないで、傷は日に日によくなっても、疲れが奥深いところにある。○ 鴎外の「妻への手紙」。明治三十七八年という時代の色、匂いが何と高いだろう。手紙の書かれた環境も、部分的ではあるが・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・ それをまだ疵がすっかり癒着もしない内からかなり遠い大学から林町までの徒歩を許すと云う事は考えられない事であり又我々なら許されたとて容易に決行する勇気は持たなかったに違いない。 私共が一旦病気になって生き様と云う願望が激しく燃え上っ・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ 斯様にして、自分と林町との間に丈は、皮膚の傷が自ら癒着するように、回復が来た。 一度、固執を離れ、自分の芸術と云うことを抜きにして逢って見れば、自分達母娘は、流石に何と云っても血で繋ったものである。彼女も会うことは嬉しく、自分も、・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
出典:青空文庫