・・・東京を発つ時からなんとなくいらいらしていた心の底が、いよいよはっきり焦らつくのを彼は感じた。そして彼はすべてのことを思うままにぶちまけることのできない自分をその時も歯痒ゆく思った。 事務所にはもう赤々とランプがともされていて、監督の母親・・・ 有島武郎 「親子」
・・・主の口と盆の上へ、若干かお鳥目をはずんで、小宮山は紺飛白の単衣、白縮緬の兵児帯、麦藁帽子、脚絆、草鞋という扮装、荷物を振分にして肩に掛け、既に片影が出来ておりますから、蝙蝠傘は畳んで提げながら、茶店を発つて、従是小川温泉道と書いた、傍示杭に・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・がこれでまだ、発つ朝に塩瀬へでも寄って生菓子を少し仕入れて行かなくちゃ……」 壁の衣紋竹には、紫紺がかった派手な色の新調の絽の羽織がかかっている。それが明日の晩着て出る羽織だ。そして幸福な帰郷を飾る羽織だ。私はてれ隠しと羨望の念から、起・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ ある夕方、深水がきて、高島が福岡へ発つから、今夜送別会をやるといいにきて、「ときに、例の方はどうしたい?」 と訊いたとき、三吉は、「おれ、病気なんだ」 と答えたきりだった。けげんな顔をしている相手にいくら説明したところ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ぼくはみんなが修学旅行へ発つ間休みだといって学校は欠席しようと思ったのだ。すると父がまたしばらくだまっていたがとにかくもいちど相談するからと云ってあとはいろいろ稲の種類のことだのふだんきかないようなことまでぼくにきいた。ぼくはけれども気持ち・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・「さあ、発つぞ。ギイギイギイフウ。ギイギイフウ。」 実に彗星は空のくじらです。弱い星はあちこち逃げまわりました。もう大分来たのです。二人のお宮もはるかに遠く遠くなってしまい今は小さな青白い点にしか見えません。 チュンセ童子が申し・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・本当に発つ日がわからないから心配です。南のことは誰も不馴れで、何となく手がない気がして、決心ばかりするしかないのだけれど、こちらでこれだけのことがわかって包みが間に合えば、いくらか心ゆかせになるというものです。梅干布などというものもあって、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫