・・・ 実はなくなりました父が、その危篤の時、東京から帰りますのに、とこの町から発信した……偶とそれを口実に――時間は遅くはありませんが、目口もあかない、この吹雪に、何と言って外へ出ようと、放火か強盗、人殺に疑われはしまいかと危むまでに、さん・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・その頼信紙は引き裂いて、もう一枚、頼信紙をもらい受けて、こんどは少し考えて、まず私の居所姓名をはっきり告げて、それからダイサンショウミツケタとだけ記して発信する事にした。スグコイと言わなくても、先生は足を宙にして飛んでくる筈だと考えた。果し・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ 話は変るが、一九一〇年頃ベルリン近郊の有名な某電機会社を見学に行ったときに同社の専売の電信印字機を見せてもらった。発信機の方はピアノの鍵盤のようなものにアルファベットが書いてあって、それで通信文をたたいて行くと受信機の方ではタイプライ・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・当時は世界第一であったナウエンの無線電信発信所を見物したのもこの見学団の一員としてであった。テレフンケン・システムの大きな蛇のようなスパークがキュンキュンと音を立ててひらめいては消えるのを見た。同じ団体にはいってヘッベルの劇場の楽屋見学をし・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・ 老技師は忙しく局へ発信をはじめました。その時足の下では、つぶやくようなかすかな音がして、観測小屋はしばらくぎしぎしきしみました。老技師は器械をはなれました。「局からすぐ工作隊を出すそうだ。工作隊といっても半分決死隊だ。私はいままで・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ ホトトギスに、その小説は掲載されたのであったでしょう。発信というところに、八重子とあるから、そういう点では責任をはっきりさせる性質であった漱石は、その日のうちに返事や原稿の所置について手紙を書いたものと思われます。 この「鳩公の話・・・ 宮本百合子 「含蓄ある歳月」
・・・[自注1]中條咲枝より――発信人は咲枝となっているが、百合子が書いている。前年五月中旬検挙された百合子は、十月下旬治安維持法によって起訴され、市ヶ谷刑務所未決に収容された。一九三六年一月三十日、父中條精一郎が死去した。百合子は五・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫