・・・彼が許嫁の死の床に侍して、その臨終に立会った時、傍らに、彼の許嫁の妹が身を慄わせ、声をあげて泣きむせぶのを聴きつつ、彼は心から許嫁の死を悲しみながらも、許嫁の妹の涕泣に発声法上の欠陥のある事に気づいて、その涕泣に迫力を添えるには適度の訓練を・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・特に発声映画劇と文楽との比較研究はいろいろのおもしろい結果を生むであろうと思われる。そうしてその結果は人形芸術家にも映画芸術家にも、いろいろの新しい可能性の暗示を授けるであろうと想像される。 たとえば、スクリーンの映像では、その空間的位・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・話は脱線するが、最近に見た新発明の方法によると称する有色発声映画「クカラッチャ」のあの「叫ぶがごとき色彩」などと比べると、昔の手織り縞の色彩はまさしく「歌う色彩」であり「思考する色彩」であるかと思われるのである。 化学的薬品よりほかに薬・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ もう一つ断わっておく必要のあるのは、発声映画の問題である。始めから発声映画を取って考えるのと、無声映画時代というものを経て来た後に現われた発声映画を考えるのとでは、考え方によほどな隔たりがある。しかしここでは実際の歴史に従ってまず無声・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ これは別に映画では珍しくもない技巧であるが、しかしこの場合にはこの技巧が同時に聞かせる音楽と相待ってかなりな必然性をもって使用されており、これによってこうした発声映画にのみ固有な特殊の効果を出している。眼前を過ぎる幻像を悲痛のために強・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・という気がする。 二「モロッコ」という発声映画を見た。まず一匹の驢馬が出現する。熱帯の白日に照らされた道路のはるか向こうから兵隊のラッパと太鼓が聞こえて来る。アラビア人の馬方が道のまん中に突っ立った驢馬をひき・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・アーヴルに着いてすっかり港町の気分に包まれる、あの場面のいろいろな音色をもった汽笛の音、起重機の鎖の音などの配列が実によくできていて、ほんとうに波止場に寄せる潮のにおいをかぐような気持ちを起こさせる。発声映画の精髄をつかんだものだという気が・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・おりおり余興に見せられる発声漫画などはこの意味ではたしかに一つの芸術である。品は悪いが一つの新しい世界を創造している。これに反して環夫人の独唱のごときは、ただきわめて不愉快なる現実の暴露に過ぎない。 絵画が写実から印象へ、印象から表現へ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・さらに発声映画に関して新たに起こって来た多様の興味ある問題もあるであろうが、これらもいっさい省略してここには触れないことにした。 もし、この一編の覚え書きのような未定稿が、映画の製作者と観賞者になんらかの有用な暗示を提供することができれ・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・あるいはまた反響は自分の声と同じ音程音色をもっているから、それが発声器官に微弱ながらも共鳴を起こし、それが一種特異な感覚を生ずるということも可能である。 これは単なる想像である。しかしこの想像は実験によって検査し得らるる見込みがある。そ・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
出典:青空文庫