・・・プラトンとダンテとを読むと読まないとではその人の理念の世界の登攀の標高がきっと非常に相違するであろう。 高さと美とは一目見たことが致命的である。より高く、美しいものの一触はそれより低く一通りのものでは満足せしめなくなるものである。それ故・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・いう処から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まって以来最初に征服致しましょうと心ざし、その翌十四日の夜明前から骨を折って、そうして午後一時四十分に頂上へ着きましたのが、あの名高いアルプス登攀記の著者のウィンパー一行でありました・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ エヴェレスト登攀でもそうであるが、最後の一歩というのが実はそれまでの千万歩よりも幾層倍むつかしいという場合が何事によらずしばしばある。そう考えて来るといささか心細い日本の現代である。あきらめのよすぎる国民性によるのであろうか。そう思う・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・が芸術的に弱いロマンティシズムに捕われながら、手法の上で一種独特の単調な反復を敢てしている点が、私に数ヵ月以前観たドイツのヒマラヤ登攀実写映画を思い出させた。その映画でもやはり人間の努力の姿を語ろうとして同じような山道を攀じ登る姿を繰り返し・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・槇有恒氏の山についての本はどんなその間の機微を語っているか知らないけれど、岩波文庫のウィムパーの「アルプス登攀記」は印象にのこっている記録の一つである。岩波新書に辻村太郎氏の執筆されている「山」がある。 極地探検の記録も人類の到達した科・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・けれども、人間性を自分の枠のなかからたたき出して、辛い旅をさせ、客観的に追いつめられるだけ追いつめて見て到達した地点へ、自分の生きかたの足場を刻みつけて進んでゆくという、アルプス登攀のような文学と生活との方法は、ざらにあるだろうか。 経・・・ 宮本百合子 「作品と生活のこと」
・・・アルプス登攀列車は、一刻み、一刻み毎に、しっかり噛み合って巨大な重量を海抜数千メートルの高み迄ひき上げてゆく堅牢な歯車をもっている。わたし達が近代的外皮に装われた最も悪質な封建性から自身の全生活を解放して、民主主義に立つ眺望ひろい人生を確保・・・ 宮本百合子 「「どう考えるか」に就て」
・・・何によってその雪崩れでそぎとられた斜面にピッケルをうちこむべき地点を判断してゆくかと云えば、先ずその岩の性質の鑑識に立つということを答えない登攀者はないだろうと思えるのである。〔一九四一年一月〕・・・ 宮本百合子 「日本の河童」
出典:青空文庫