・・・年のむかし、洲崎の遊里に留連したころ、大門前から堀割に沿うて東の方へ行くとすぐに砂村の海辺に出るのだという事を聞いて、漫歩したことがあったが、今日記憶に残っているのは、蒹葭の唯果も知らず生茂った間から白帆と鴎の飛ぶのを見た景色ばかりである。・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・動くとも見えぬ白帆に、人あらば節面白き舟歌も興がろう。河を隔てて木の間隠れに白くひく筋の、一縷の糸となって烟に入るは、立ち上る朝日影に蹄の塵を揚げて、けさアーサーが円卓の騎士と共に北の方へと飛ばせたる本道である。「うれしきものに罪を思え・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・老人は洞穴の上へ坐ったまま、沖の白帆を眺めて、潮が引いて両人の出て来るのを待っております。そこであまり退屈だものだから、ふと思出して、例の医者から勧められた貝を出して、この貝を食っては待ち、食っては待って、とうとう潮が引いて、両人が出てくる・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・私の目の力がいつにもまして強くなったように、向ーに、ちょっピリとうかんで居る白帆から御台場の端に人間が立って居るのまで見える。涼しい風は夕暮の色をはらんで沖から流れる潮にのって来る。「何ていいきもちなんだろう」私は大きい声で云ったら、このお・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
出典:青空文庫