・・・僕の後ろにある岩の上には画にあるとおりの河童が一匹、片手は白樺の幹を抱え、片手は目の上にかざしたなり、珍しそうに僕を見おろしていました。 僕は呆っ気にとられたまま、しばらくは身動きもしずにいました。河童もやはり驚いたとみえ、目の上の手さ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 武蔵野ではまだ百舌鳥がなき、鵯がなき、畑の玉蜀黍の穂が出て、薄紫の豆の花が葉のかげにほのめいているが、ここはもうさながらの冬のけしきで、薄い黄色の丸葉がひらひらついている白樺の霜柱の草の中にたたずんだのが、静かというよりは寂しい感じを・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・あちこちにひょろひょろと立った白樺はおおかた葉をふるい落してなよなよとした白い幹が風にたわみながら光っていた。小屋の前の亜麻をこいだ所だけは、こぼれ種から生えた細い茎が青い色を見せていた。跡は小屋も畑も霜のために白茶けた鈍い狐色だった。仁右・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・大谷地は深き谷にて白樺の林しげく、其下は葦など生じ湿りたる沢なり。此時谷の底より何者か高き声にて面白いぞ――と呼わる者あり。一同悉く色を失い遁げ走りたりと云えり。 この声のみの変化は、大入道よりなお凄く、即ち形なくしてかえって形ある・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・デンマークの富は主としてその土地にあるのであります、その牧場とその家畜と、その樅と白樺との森林と、その沿海の漁業とにおいてあるのであります。ことにその誇りとするところはその乳産であります、そのバターとチーズとであります。デンマークは実に牛乳・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ 遠くに見えていた白樺の白けた森が、次第にゆるゆると近づいて来る。手入をせられた事のない、銀鼠色の小さい木の幹が、勝手に曲りくねって、髪の乱れた頭のような枝葉を戴いて、一塊になっている。そして小さい葉に風を受けて、互に囁き合っている。・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ 前の山には、ぶな、白樺、松の木などがある。小高い山の中程に薬師堂があって鐘の音が聞える。境内には柳や、桜などが植っている。其等の木々の葉が白く、日光に、風のあるたびに裏を返して見せているのも淋しかった。 眼の下にお土産物を売ってい・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・碓氷峠にさしかかっている。白樺の林が月明かりに見えた。すすきの穂が車窓にすれすれに、そしてわれもこうの花も咲いていた。青味がちな月明りはまるで夜明けかと思うくらいであった。しかし、まだ夜が明けていなかった。 やがて軽井沢につき、沓掛をす・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・ 五 谷間の白樺のかげに、穴が掘られてあった。傍に十人ばかりの兵卒が立っていた。彼等は今、手にしているシャベルで穴を掘ったばかりだった。一人の将校が軍刀の柄に手をかけて、白樺の下をぐる/\歩いていた。口元の引きしま・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 武石は、ぺーチカに白樺の薪を放りこんでいた。ぺーチカの中で、白樺の皮が、火にパチパチはぜった。彼も入口へやって来た。「コーリヤ。」 松木が云った。「何?」 コーリヤは眼が鈴のように丸くって大きく、常にくるくる動めいてい・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
出典:青空文庫