・・・さもなければ忘れたように、ふっつり来なくなってしまったのは、――お蓮は白粉を刷いた片頬に、炭火の火照りを感じながら、いつか火箸を弄んでいる彼女自身を見出した。「金、金、金、――」 灰の上にはそう云う字が、何度も書かれたり消されたりし・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・二人とも十二、三でやはり緋の袴に白い衣をきて白粉をつけていた。小暗い杉の下かげには落葉をたく煙がほの白く上って、しっとりと湿った森の大気は木精のささやきも聞えそうな言いがたいしずけさを漂せた。そのもの静かな森の路をもの静かにゆきちがった、若・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・……淡い膏も、白粉も、娘の匂いそのままで、膚ざわりのただ粗い、岩に脱いだ白足袋の裡に潜って、熟と覗いていたでしゅが。一波上るわ、足許へ。あれと裳を、脛がよれる、裳が揚る、紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走るのを見ては、何とも、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ と片袖をわざと顔にあてて俯向いた、襟が白い、が白粉まだらで。……「……風体を、ごらんなさいよ。ピイと吹けば瞽女さあね。」 と仰向けに目をぐっと瞑り、口をひょっとこにゆがませると、所作の棒を杖にして、コトコトと床を鳴らし、めくら・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ま背戸山へ出て往った様だった、お町はにこにこしながら、伯父さん腹がすいたでしょうが、少し待って下さい、一寸思いついた御馳走をするからって、何か手早に竈に火を入れる、おれの近くへ石臼を持出し話しながら、白粉を挽き始める、手軽気軽で、億劫な風な・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・また、吉弥の坐っているのがふらふら動くように見えるので、あたかも遠いところの雲の上に、普賢菩薩が住しているようで、その酔いの出たために、頬の白粉の下から、ほんのり赤い色がさす様子など、いかにも美しくッて、可愛らしくッて、僕の十四、五年以前の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・伊達巻の寝巻姿にハデなお召の羽織を引掛けた寝白粉の処班らな若い女がベチャクチャ喋べくっていた。煤だらけな顔をした耄碌頭巾の好い若い衆が気が抜けたように茫然立っていた。刺子姿の消火夫が忙がしそうに雑沓を縫って往ったり来たりしていた。 泥塗・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・日本の文人は東京の中央で電灯の光を浴びて白粉の女と差向いになっていても、矢張り鴨の長明が有為転変を儚なみて浮世を観ずるような身構えをしておる。同じデカダンでも何処かサッパリした思い切りのいゝ精進潔斎的、忠君愛国的デカダンである。国民的の長所・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・多くの若い女が、顔に、真っ白に白粉を塗って、唇には、真っ赤に、紅をつけていました。そこで、やはり、その女たちも、いい声で、唄をうたっていましたが、子供が、風から習った、悲しい唄をうたってきかかりますと、みんなが黙ってしまいました。 子供・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・「とか何とかおっしゃいますね。白粉っけなしの、わざと櫛巻か何かで堅気らしく見せたって、商売人はどこかこう意気だからたまらないわね。どこの芸者? 隠さずに言っておしまいなさいよ」「ちょ! 芸者じゃねえってのに、しつこい奴だな」「ま・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫